2023年9月11日月曜日

【キャリコン】 私の方法論 成功哲学?

■ キャリコン

昨日は、海外就職のためのキャリコンの日で、私の不思議なキャリアの解説(笑)。

どうやって、松下のロボット開発部に入ったのーとか。どうやって三井物産の仕事についたのーとか。

解説?していたら、ほんとに〇〇さん、面白い人ですね!って話になったんだが、自分でも、目標としてきたことはすべて達成してきた、それも、とてもユニークなやり方で…と思う。

そのやり方を子供に教えてあげたいが…、抽象化するのが難しいのです。

1)まずは意思がある。 例:プログラミングを学びたい

2)次に努力がある。 例:14歳でBasic言語独習

3)次に種まきがある。 例:パソコン関係の仕事は、なんでも断らずやり、実績を積む

4)チャンスが来る。例:〇〇と言う仕事があるがしない?

5)自己を主張する 例:業務委託に変更

6)成果をまとめる 例:ロボットマニュアルを英語で書く

最初に意志をもったのが、10代で、理由は、私は飽きやすく、ずっと勉強し続けられる業界がいいなと思っていたから。その後、中学校にモデル校でPCルームができた(機会)が、先生たちも誰も知らず、仕方ないので、本を自分で買ってきて、プログラミング言語(Basic)の独習をして、本当にしたいかどうかを確認したのが14歳(意志と努力)。

15歳のころ、母がワープロを購入。学級新聞をガリ版からワープロにして驚かれた(成果)。

近所の友達で家が建築士の子がおり、父親がCAD導入していたので、そのパソコンで三国志をやって遊ぶ。悟くんちには、入り浸っていた(笑)。(機会)

18歳図書館に入職し、リナックスに触れる。当時はインターネットは大学のネットワークでしか広がっておらず、真っ黒な画面で、しかも司書は年配の人ばっかりなので、あれやって、これやってと頼まれることで、コンピュータの世界になれる。(機会・貢献)

20歳で海外に行き、当時は、TELNETコマンドでメールする時代。海外でアップルに触れる。勝手に地元大学SFSUのPCルームに入れてもらい、母校の外大の先輩と通信したり。当時はてな時代だった(機会)。まだ、海外とは国際電話と言う時代。

22歳で帰国したが、就職氷河期でびっくり(逆境)。大学の先輩たちは、40社訪問して断られていた…ので、通常のやり方ではまともな職には付けないと理解。そこで、安定した仕事を捨て、不安定ではあるが、派遣で人材紹介会社とのパイプを作る道を選ぶ(戦略性と適応)

大手で、IT系派遣に特化した会社で、すでにTOEIC900点超えだった英語力を元手に、通訳やアテンド。機械のインストールで、訪日エンジニアの人が理解の速さに喜ぶ。この機械のインストールの仕事は、他の人が苦手だったので、評価される(機会・成果)。その他、大学での新入生向けのパソコン指導とか、企業さんでのインストールとか、弁理士事務所でのシステム屋とかを経験(経験値・努力)。

普通の人以上にPCは詳しくなり、ブランドタッチ。キー入力高速化。で、大学も卒業、間近かとなったころ、松下or丸紅に行かないか、との仕事の打診が来る(機会)。丸紅は、システムエンジニア職で、社内LANの構築などは、すでに特許事務所でやったことがあったし、知らない仕事のほうが楽しめると思い、松下へ(難しいほうをチョイス)。

入ってみたら、1週間の社内研修があるが、講師から「これまで2000人くらい教えたけど、2番か3番に呑み込みが早い」と言われる。1番でないところがあれだが、実は、当然で、ロボット言語は、私が14歳で自学自習したBasic言語と全く同じだったうえ、言語のパターンは、Move A B みたいな英語と同じ構造。すでに一般社会の尺度で見れば、ペラペラの域の英語と同じ構造で、ロボットの操作を覚えることはあんまり難しいことではなかた。

ってわけで、幸先よくロボットの仕事をスタート。就職氷河期が、福に転じ、私の前に7年ほど新卒採用がなかったので、派遣社員で入ったのに、皆にやっと面倒な仕事を押し付ける奴がきた!と歓迎される(機会・貢献)。ので、ハードウェアのテストもしたし、ソフトのテストは当然だが、バグの管理体制まで変えてしまった。それでも手が空いてしまい、マニュアルの英語化に着手。いっぱい間違った英語を直した。かなり相手方はラッキーだったと思いますよ。業務がだいぶ改善して、今まで仕事していないのに、お金もらっていた社員のひとたちが明らかになった(笑)。社内で問題化しました。当時から黒船。でも、悪いのは、仕事をせずお金をもらっていたほうであって、私ではない。

あまりに実績が上がったので、研究所等から、声がかかり、他の仕事もしてほしいということで、業務委託になり、年収が800万円を超える。(が、これでも、ボラれていたらしく、師匠の前川さんの年収は1500万円だと後でおしえてもらった)

その後、事業部解散になり、師匠の前川さんと一緒に他社へ移籍。

というのがストーリーです。

大体の人は、4)のところしか見ていないので、あなただけずるい!って言います。いや~。 

そういう人は、基本、甘ちゃん。言われた通りにするのが努力だと思っているかもしれない。そもそも、努力の意味が分かっていないと思う。

努力をしていない人のところに、チャンスが来ても、女神はスルーするだけなんですよ。

だからと言って、努力さえしていれば、チャンスが来るかと言えば、来ない。種は撒かねば、草は生えない。

種まきは、いろいろな人に会い、いろいろなところで、自分のしたいことを明確にすることです。

いうなれば、私は23歳のころ、いろいろなところで、PC関係の仕事は、手あたり次第にやりましたが、その当時の年収?150万円くらいです… いや、3万円の文化住宅に住んでいたから、なんとかなったけど…。

当時は、大学の友達が、「近所に来たから、一緒に入ろうー」と言って銭湯に行くのに誘ってくれるような、学生のたまり場になっている部屋が、わたしんちでした。

■ 英語習得のケース

私は21歳の時ですでに、TOEICは925点と満点に近く、すでにすっかり英語を勉強する気は失っているのですが…。

英語をどうやって身に着けたの?と聞かれることが非常に多く、私の方法を解説します。

1)まずは意思がある。 例:英語を学 びたい!

2)次に努力がある。 例:小学生からラジオ英会話 & 英検

3)次に種まきがある。 例: 大学は英語科

4)チャンスが来る。例: アメリカ人の大学教授の個人宅で仕事があるけど、行かない?

5)自己を主張する 例:米国人並みの給料になる

6)成果をまとめる 例:サンフランシスコ市内に転居し、好きな生活を送る


1)意志、ですが、そもそも、私はパロアルト(分かりやすく言えばシリコンバレー)などで、ITエンジニアになりたいのでした。なので、子供のころから、今こそ英語!と思い、毎晩、ラジオ英会話…とはいえ、きっちりやったわけではなく、やらねばならないと理解していた、と言う感じです。NHKには一番お世話になりました。安いしね!

2)努力、ですが、学生時代の英語の授業では、単語テストなど赤点常連です。ただ、個人での勉強では、英検4級は中学1年で、3級は2年で取得。高校英語は散々で、たいした学力はありませんでしたが、耳を鍛えるのは、やめていませんでした。ともかく、日本の教授法での害悪を最低限にしようと頑張っていました(笑)。暗記中心、文法中心と言う奴。(逆境)

3)種まき 

英語科に進学したのは、希望していた理系は、私は15歳で鬱になってしまい、入れず、挫折して文系に行ったからです(挫折・逆境)。で、文系は楽勝だったので、特に受験勉強はせず、入学。受験日に合格することは、当たり前すぎるくらい分かっていたので、入試日に、たまたま見かけた大学生協の短期バイトの予約を入れ(機会)、入学式当日は出ないでバイトしていました(笑)。大学生協で、おばちゃんたちや先輩らが多かったので、いろいろ大阪のことを教えてもらいました(支援を得る)。

ちなみに進学に関して言えば、私ほどの逆境の人はいないでしょう。夜学の出で、全額自腹で学費出したうえ、生活も18歳から完全独立です。母子家庭の出なので。親に学費出してもらって、足りないとか文句言っている学生見ると、不思議な気持ちです(逆境)。

その後、大学で学生ができる、ほかのバイトには、図書館の仕事があると気が付き、自分で履歴書を持っていき、「本が好きなので、ポストが空いたら就職したい」と告げました。5月にはポストが空き、就職できた(自助による種まき)

図書が好きなのは本当です。暇さえあれば本読んでいましたし、今もそうです。大学図書館では、今でいうDX化が進行中で、昔は、目録カードに書いて目録登録していたのが、IT化されつつあり、その作業に、ほとんど全員の大人が面食らっているところに、プログラミング言語についての基礎的知識がすでにあり、キーボード入力もすでにできる18歳の私が行ったので、あれやこれやと皆に便利に使われることになりました(貢献)

いい職場でした。

仕事は英語をはじめ、フランス語、スペイン語、イタリア語などのヨーロッパ言語から、スウェデッシュなどの北欧言語までの本を、データベースに登録するってことです。と言っても、間違って入力すると、国会図書館から、おしかりの電話がかかってきます(笑)。

日本の大学は全国でオンラインでつながっており、どこの大学になんていう専門書が置いてあるか、きちんと全員が把握して、複数の同じ書籍を国費で購入しないようにしているんですよ。まぁ数冊ならあってもいいのですが。

大阪外大は、東京外大と並ぶ、貴重な国立系の外国語言語の研究施設なので、外大にしかない本とかいっぱいあります。朝鮮語とか、ヒンディなどの特殊言語は、夏休みなどに、読める学生を雇い、登録します。昔は国防の要だったんですよ。

ということで、私の職位は大学教授たちと近しく、若手の研究者から、お相手候補にされることもありました。が文系研究者って…講師とかだと何コマも掛け持って、超・貧乏。フルタイムの研究職に就ける文系の人っているのかな?って感じでした。

と言う感じで、語学力は、英語以外にも、マイナー言語で辞書を引く力や専門書を読める、紀要が分かるなどの力が付きました。論文って、前のほうに要約が書いてあるので、それだけ読めばOKなんですよ。

英語力付けるために、英字新聞は購読していました。が、難しすぎてほぼ積読。ただ英語科の生徒だったので、普通に授業は、バークレーから来た黒人の先生が英語オンリーでやっていました。当時、米国の文系学生の間で、決定的に定番である米国標準テキストの”Elements of Style”などで学習したのが良かったです。

4)チャンスが来る

そうこうしている間に、大学関係者の中で知り合いが多くなり、気に入った先生の図書は優先的に登録してあげ、早くゲットできるようにしてあげたりしていました(笑)。職権乱用か(笑)?

そうした努力?のかいか、分かりませんが、カリフォルニアの大学関係者で英語が話せるベビーシッターを探している、という話が舞い込みました。

しかし、行くのが、たったの1か月先。しかも、初めての海外のパリにその年の12月に格安チケットで出かけたばかりで、貯金すってんてん。

でも、これは!千載一遇のチャンスと思ったので出かけました。途中、ビザが下りず困ったのですが、大学図書館のコネを使いました。

ここは頑張りどころです。何が何でも行くと決めたら行く!という意志力が必要です。

学生寮に住んでいたので荷物も処分するのが大変。友達たちにラジカセだの、カーペットだの、いろいろ預かってもらいました。

なんとか、フライトできたものの…財布には2万円しかなく、大変心細かったことを覚えています。飛行機を降りたら、誰も迎えの人がおらず、この話自体が、デマだったらどうしよう…と思っていました。飛行機の中では、『起きてから寝るまで』を必死で読んでいました(笑)。

で、無事カリフォルニアで就労。その後は、移民一世みたいな生活を送りました。車の運転も初めてしたのは、カリフォルニア。

色々、おもろい事件がありましたが、話がそれるので、ここでは割愛。

あっという間に3か月で話せるようになり、帰国してTOEICを受けたら、870点でした。その後2度目を受けたら、925点で、もはやテストを受ける意欲を失いました(笑)。

5)自己を主張する

アメリカでは、搾取されており、時給2ドル45セントからのスタートでしたが、信頼と実績を積み上げて、時給15ドルにあっという間になりました。ので、普通の人と同じように、住み込みではなく通いの仕事に変えて、シティに引っ越しました。シティでは、6回引っ越し。楽しかった。SFなら詳しいです。今は変わってしまったのかもしれませんが。

帰国後も、国際会議を主催する会社などでバイトしましたが、世間は、ボケッとしているすぐ付け込みます。私より英語が話せない人が社長でしたが、私のTOEIC得点はそこで働いていた人の中ではトップクラスでしたが、フルタイムなのに学生バイトだからと言われて、時給800円。私がいないと、会社が回らない状態だったのにもか関わらず、です。すでに、職歴7年で仕事での自分の実力は分かっていたので、そんな詭弁には引っ掛からない私でした。

私にとって必要なのは、履歴書に書ける職務経験だけだったので、それが得れたら、すぐに辞めました。

うまく行かない人を見ていると、ブラック職場に固執しすぎです。もらうものもらったら、さっさと去り、もっと自分を正しく評価してくれる職場に移りましょう(自分を大事にする習慣)

6)成果をまとめる

語学の仕事は、成果がまとまったのは、だいぶ後になってからです。趣味のバレエで踊っていると、海外のコリオグラファーが来日するということ(ジョン・ノイマイヤー氏)で、通訳の仕事が舞い込みました。

通訳って、みんな知らないけど、英語ができることより、その専門分野に詳しいほうが重要なんですよ。

バレエって日本でもルルベ、とか、使われる専門用語は、英語ではなくフランス語だし…

というので、後になって、花咲きましたが、通訳の仕事は、その場限りなので、たいへんすぎ、勉強2か月、本番2時間って感じです。本番のために費やす勉強代で、通訳料の2万円/時など、吹っ飛んでしまいます(笑)。

ので、お仕事くださる方には、申し訳ないですが、通訳より翻訳のほうが心穏やかにいれます。

■ まとめ

PC関係と英語での、自己実現をまとめました☆ いかがでしょうか?

みなさんに真似してもらうのが意図で、私がすごいことを自慢したいわけではありません。

人生は不思議なもので、とても、変化に満ち、ヒョウタンからコマ!みたいなのは起きるのが普通です。

ぜひ、みなさんも、意志、努力、種まき、を怠らず、来たチャンスをものにされてください。

一般に、ある人が成功した方法は、あなたには適さないと言いますが、私のやり方も同じかもしれません。

が、意志が固まっていない、ということが、往々にして日本人には見られると思います。

あなたは何をしたい人なのか?

「○○ならやってもいい」

それくらいの意思だったら、神様も、じゃ、ほかのもっと情熱がある人にチャンスを上げよう、と思うのではないですかね?



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