2023年9月9日土曜日

【コーチング】心理学の勉強

 ■ クライマー育成にぜひとも必要なのがコーチング

トップダウンで教える”ティーチング”は、一人で一人のクライマーを教えるのがせいぜいですし、今のクライミングと昔のクライミングは違うので、昔のクライマーが現代クライミングを教えるのは無理です

一人一人に丁寧に教えるのをめんどくさがる人が教えると、「え?終了点、結び変え?知らなくていいよー。カラビナ置いておくから」となってしまいます。

本当に必要なのは、自ら独学で成長する人を支えるコーチング。

私自身もほとんど独学です。私が、雪山も独学したから、山岳総合センターの専門教育に進むことができ、クライミングの師匠も最初から得れたわけですから…。

■ コーチング話法

を今、学習中なんですが…これって、私が子供時代に、なんとなく自然に身に着けたこととすごく似ている…と思っています。

1に傾聴、2に無否定、3は、一旦相手の価値観を受け入れる…、

全部すでにやっている。特に3はやりすぎて、バックファイアしてしまいました。

そのせいで、ひどい目に合ったともいえますが…(笑)。

なんかすごくクライミングで、私に起こったことについて、この話法に沿って、まとめたくなりました…

■ コーチング話法事例 赤字コーチ

C:「あなたは、クライミングをどのようなものとしてとらえていますか?」

ME:「私はクライミングは、リスク管理をしながら、自分の限界に挑む活動だと思っています。

私の生き方も同じで、(一般論の思い込み)や(先入観)で騙されることなく、(具体的にリスクを冷静に計算)し、大丈夫だと思ったら、(他の人がなんと言おうとも)実行してきました。

たとえば、20歳で海外就職を実現したのですが、その時は、現金が2万円しか財布になかったんですよ。

また大学進学や就職氷河期での就職も、同じように自分でリスク管理して行い、成功しました。大人が敷いたレールの上を歩くとか、前例に従った、ということではなく…」

C:「そのことについて回りの人は、どう反応していますか?」

ME:「クライミングでリスク管理することを、臆病者だというレッテルを張っています。

たとえば、40年経過したカットアンカーに、”落ちろ、落ちろ”と言われます。そんなボルトで、ポロポロ落ちるクライミングをする奴は、バカだという教育を受けました。しかし、こちら(九州)では、みな、そう思っていないようです」

C:「その時、あなたはどんな心の状態になっていますか?」

ME:「自分のクライミングだけでなく、自分そのもの、を否定された感じで、とても、嫌な感じです。

そして、クライミングの本質を何も分かっていない人たちだと思い、その人たちから一目散に逃げ出したくなります。

また、場合によっては、トラウマのパニックアタックになります。なぜなら、原理的に考えて、確実に死の危険が迫っていることが、理性で分かるからです。

私は赤ん坊の時、父親にプールに落とされたことがあるらしいのですが、その時の映像がよみがえってくるようになってしまいました…。全く覚えていなかったのに、です。父親とは6歳から会っていないので、顔も覚えていないほどなのに、そんな映像がフラッシュバックするようになったんです…」

C:「どんな時に、そのような心の状態になりますか?」

ME:「無謀さを自慢するのがクライミングだと思っているような、カッコつけたい盛りの年下の男性とパートナーを組んだ時です。

特にその相手がリスクを前に、にやにや笑っている場合。

弟と無意識に重ねてしまうみたいなのです。弟が24歳と若くして死んだので。弟の死について、まだ自責の念と言うか、グリーフが済んでいないのかもしれません。

同時に、父親に死の危険にさらされたときの恐怖が再発するようになってしまいました」

C:「トラウマのパニックアタックになると、本来すべきこと以外に何をしてしまうのですか?」

ME:「非常に攻撃的になり、指摘が先鋭化します。間違った行為を指摘し、その行動を正そうとし、何が具体的に悪いのか、詳述してしまい、自分自身もエネルギーを使ってぐったりしてしまいます。日常生活に支障が出るほど、です。

精神面で追い詰められ、うつ病を発症してしまったくらいです。

また、そうした悪い挑発に載って、私が死んだら、相手は分かるのだろうか?こいつらは、人を殺せば、自分がやっていることが分かるのか?反省できるのか?と考えてしまいそうになります。実際、一度落とされて、頭を7針も縫っています。

相手がいかに間違っているか?証明したい!と言う思いに駆られるというか…

挑発は、愚かなことだと分かっていて、決して乗らないようにしていますが。

私は、長女なので、世界を信頼しているところがあり、その信頼から、ガードが甘く、うっかりしたところがあるのです。

気が付いたら、相手にいいように利用されていたりします。たとえば、自分の新品のロープを自分が使う前に相手が自分の本気トライで使っている、とか…。ロープアップされないマルチのセカンドにされちゃうとか。

ある有名な老舗山岳会に参加するために、所見の人のビレイで、比叡をリードしたときは、なんと私のリード中にビレイヤーは、別のクライマーをビレイしていました…。ありえない愚行なんです。普通なら、殺す気か!と怒鳴るようなところですが、年配の人だったので、怒鳴ることができませんでした。儒教教育による禁止令的なものがあるのかもしれません。

結局のところ、嫌な目にあったことに取り付かれてしまい、本来取り組むべきこと…自分の人生…に取り組めなくなってしまいます」

C:「どんなキッカケで、それをやってしまうのですか?」

ME:「リスク管理ゼロのクライミング、分かっていないクライミングを見たときです。あるいは、何年か後に振り返り、あのクライミングはすごく危なかったなぁと分かるときなど。

生活の、なにもかもに優先して、この間違ったクライミングを正しい方向に方向づけないといけない!という気持ちになってしまうんです。間違いを正すことについて、責任が私にあるか?のように…。

うーん、これは、子供時代に母親代わりに、兄弟に対する責任を背負ってきたことの再演ですかね?」

C:「あなたのゴールに向けた、あなた自身の課題は、何でしょうか?」

「クライミングは趣味なので、趣味に人生を乗っ取られないようにすることです」

「あなたのゴールである、自分の人生を取り戻す、ということについて、あなた自身の課題は何でしょうか?」

ME:「こうした障害…無謀なクライマーたちによる、臆病者、呼ばわりなどの挑発…を乗り越えることです。

無謀なクライマーはスルーして、きちんとクライミングをしている人たちとつながり、日本に、本来のクライミングである、セーフクライミングを主体とする、市民クライミング…一流クライマーのみならず、一般市民が楽しめるクライミングを広めることです。

自分の人生を取り戻すことについては、仕事を復活できれば済む、と思っています。

仕事については柔軟です。私はもともと前職がソフトウェアエンジニアであったので、就業するなら前職を生かせますし、翻訳業やヨガを教える仕事もあっていました。

コーチングメソッドに、クライミング教育を組み合わせた、リスク管理中心のクライミング教育メソッドの開発に興味関心がありますが、遠い目標ですね…。

なにより、日本のクライミングが世界の流れからかけ離れて、無謀さのPRを目的にしている特殊クライミングに陥っていることに危機感を感じます。

英語が話せる国際人材としては、そうしたものを修正したい、という思いが強いです。

昔から儒教文化的な価値観…年配の人に逆らってはいけない、女は男を立てる、などについては、あまり良いと思ってこなかったことがあります。

自己実現は、老若男女、すべからくしてほしいと思っています。

その際に、(他人の意見に惑わされず)、(自分でリスクを見極め)、(大丈夫だと思ったら、自分を信じて進む)。そういう態度を身に着けるのに、クライミングは、ぴったりの活動であると思うんですよ。」




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