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2024年5月3日金曜日

HSS型HSPの不安は的中する 自分を信頼しよう

■ 利用されているような気がする でも…

「利用されているのではないかの不安」

は、私以外にも、我々、多くのHSPさんが感じているようです。それにも関わらず、どうしたらいいかわからない…とも感じています。

■ その不安は本当か?

その利用されているのでは?という不安について、クライミングで、結果どうだったのか?考えてみたのですが…。

大体、不安になるときは、その予期は正しい、ということに気が付きました。

相方の無謀さは知っていて、それに何とか気づかせてやりたい、という親心みたいなものがありました。

HSPが持つ不安は、ほとんどが的中で、”不安”という感情は大事にしたほうが当たっているので良く、問題は、利用されるという出来事のほうに、問題があるように思います。

不安そのものは、当たっているので、不安なままでOKですよね。

■ 利用される理由としてこちらの動画に上がっていることを抜き出しました。

ーーーーーー引用ーーーーーーーー

①『ウンウンと話を聞いてしまう』 

②『周りの人が聞きたそうな意見を言ってしまう』

③『辛くても自分が我慢すればいいと考える』

④『自分を下げて相手を立てる』

⑤『相手の機嫌を気にかけるべきだと信じている』

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

ぬぬ?

日本の親や学校のの教育方針がコレだったような???

日本の一般的なお母さんって人の話を良く聞くように教育していますよね。

■ 対策

①『ウンウンと話を聞いてしまう』 ⇒ 人の話を遮る練習をする、特に目上の人 間違った話を大上段から話す人

②『周りの人が聞きたそうな意見を言ってしまう』 ⇒ ”先生”は、みんな正解を期待している。言う場所と人を選ぶ

③『辛くても自分が我慢すればいいと考える』 ⇒ 自分に不利なことは受け入れない練習を積む

④『自分を下げて相手を立てる』  ⇒ 自分を下げないと立たない相手は、そもそも釣り合ったレベルの人ではないので付き合わない

⑤『相手の機嫌を気にかけるべきだと信じている』 ⇒ 自分の機嫌が自分で取れない人とは付き合わない

■ 今回は私が我慢するしかない…

この相手といると、私が我慢するのが円満に収まる唯一の方法だ…という風に感じていました。

特に最後に一緒だったアラーキーは、私くらいでないと彼の無謀さをフォローする能力はないのではないか?と思っていました。案の定、白亜スラブでは、彼は、”やらかし” でした。

が、”やらかし”を本人に配慮して、誰も指摘しない…。それがこれまで長く続いていたことで良くないですね。

■ なぜ自分より格下の相手に合わせてあげないといけない、と感じるのか?

たぶん、お姉ちゃんだったので、多少弟や妹に当たる目下の相手に合わせ、自分が多少の不利益を被るのは、仕方がない、と考えるというのがありそうです。

ここまでは今までも分かっていたのですが…

■ 嫌味な対応はお手本とすべき対応だった

しかし、今、気が付いたのですが、嫌いな相手がいて、私ができない③④をやって、嫌味な対応をしていた人だということが分かりました。

あれ、私に、こういう風にしたらいいよ、とお手本を見せるために、起こっていたんですね…。

実は、相方なんですが、彼、グレードで物事を計るので、私が低グレードしか登れないからというので、格下扱いしてきていたんですよね…

いや、フリークライミングにおいては、グレードでは上下関係は起こらないですから…。

俺はグレード低いのしか登れないお前にイヤイヤ付き合ってやってんだよ、みたいな態度でした…。

いや~ イヤイヤ付き合ってやってるのは私だったんですけど…。

なんか、人生の他の分野でもデジャブー感が…。

実は私、クライマーとして、結構いけているんじゃないかと思います。少なくとも、5.12が登れたとしても、25mと35mのピッチを50mシングルで登ろうとする暴挙は、私には起こりそうもないです。

5.8、5.9から、一歩一歩足元を固めつつ、確実に登りたい、見せかけだけの成功は要らない、という方のみ、ご連絡ください☆

■ もう一段、深めると、問題の核心のようで、

⇒ 私が自分を下げないと、メンツが立たない相手は、そもそも釣り合ったレベルの人ではない = 付き合わない選択

ができない、

あるいは

何かのメリットがあって付き合わない戦略が有利でない、と判断される場合、

こちらが自分をさげていても、相手はそうは思わないので、俺はお前に付き合ってやってるんだぜ、という恩をナルシストの人は着せようとする 

 ⇒ 何も恩がないのに、何かを返礼しなくてはならない気にさせられる

 ⇒ HSPは、なんか変だぞと察知する

 ⇒ 予期 & 不安  = 正しい不安

ということが分かりました。

ナルシストって、相手の不安を食い物にして、自分に有利に持っていく大天才みたいですよね。


2024年1月17日水曜日

【心理学】優しさでは人は救えない

人に奪われすぎるあなたへ。優しさで苦労しないための注意点

■ あー、分かった。優しさでは相手は変わらない。

2番目のです。私は、高校のころ、同級生の悟君に、大学に行くお金がなさそうだ…と話したら、「あなたは大学に行かなくてはならない人だ。だから僕が働いて大学に行かせてあげる」と言われて、自分の身の振り方を理解した、という経緯があり、友人の優しさに触れて、行動を改めました。

具体的には、自分の運命を嘆くのをやめ、早朝にバイトを入れました。

その経緯があって、優しさが人を変える、ことに、信念があった。

しかし、私のように、追い詰められていない人に、優しさを与えるのはやめなくてはならない。

優しさ、では人は変えられない。

優しさにすがるその人は、依存者です。

2023年10月26日木曜日

【心理学】クライミングと心理学の関係

 クライマーが心理学を勉強する意義…というか私の個人的な意図は、

自分を殺しそうになった相手をいかにして許すか?

です。

具体的に言えば、白亜スラブ。私はあの登攀で、

 自己効力感(セルフエフィカシー)

を失いました。

それまで、いろいろな人に、クライミングは危険だ、危険だ、と盲目的に言われても、具体的にリスクに対応する能力が自分には備わっているから、大丈夫だ、と感じてきました。

そして、それは実際、事実であり、

雪山初心者で登っていた八ヶ岳権現岳や積雪期の金峰山からスタートし、何とか自力で沢の師匠を見つけ、初級の沢であればリードで行けるようになった沢登り、そして、3年で海外へ単独で登攀に行くようになったフリークライミングで、具体的な登攀としては、ラオスに一人で生き楽しんで登れたこと、台湾の岩場に一人で行き、楽しんで登れたこと、などに結実しました。すべて、あぶない危ないの大合唱を、自分自身でリスクを分析しながら、進み、成功を収めてきました。

ところが、その登攀の傍ら、日ごろ、同じ方向を向いて互いの登攀に協力し合っている、助け合っている、と私が感じてきた…いや信頼すらしていたクライマーの、きわどいルール違反…具体的には、”敗退ロープなし”で出かけるという行為の危うさを事前に予期し、自分をリスクから守ることができなかったのです。

ほんの小さな、うっかり…から、です。この「敗退なしで!」という言葉の傲慢さ、付けあがり、無知、などのもろもろの悪徳、を見抜くことができなかったのです…。

私はクライミングの危険から、身を守れていない… その事実が自分の目の前に突き出されたのでした。

この敗退なしで!をスルーしてしまった理由は、私の中にも、まぁ大丈夫だろう、とか、まぁいつも敗退しないで済んでいるからなぁ…という甘さがありました。もしかしたら、無知や傲慢も自分の中に持っている資質なのかもしれません。心理学ではそう考えることが多いからです。

この資質を自分が乗り越えられなければ、私は今後、クライミングで起こる危険に巻き込まれ、一つしかない自分の命を守っていくことができないでしょう…

あの移民社会のアメリカでの、様々なトラブルからさえも、自分を守ることができたのに、日本の田舎で、のんびりとした環境で行われる一見問題ないクライミングでのリスクから、身を守れないとは…。

■言い訳

言い訳は、若くして亡くなった弟に、自分より年が若いクライマーを重ねてしまっていた、ということが考えられるかもしれません。

しかし、弟には、逆に、遠慮なくずげずげと指摘ができるのが、姉の特権かもしれません。

私は場面緘黙、と言われる状態があの時ありました。そうあの岩場あの場所で、です。

その場面緘黙は、「やっぱロープは60だね!」と言われたときに、は?と言えなかったことです。

25mと35mのピッチをつないでしまったミスを、60mロープが救えるか?というと救えません。25+35は、ぴったり60mだからです。それでは、セカンドを上げるための支点を作る分のロープが足りません。

■ 秘策を使った

私はあの時、ビレイ中にロープいっぱいと叫んでも、まだぐいぐいとロープが引かれるので、この終了点政策文程度のロープが足りない場合の秘策として師匠から教わった、ビレイヤーが少し上がってやる、という技を使いました。

この”技”は、教科書には載っていません。一般クライマーは、もちろん教わっていません。

これは、私がクライミングで身を守れるように、と親心から教えられていた技です。

私は所定のビレイ位置から、3mほど上がったのですが、それでもロープがぐいぐい引かれつづけるので、上がるのを辞めました。なぜなら、ほんの少し足りない程度で使う技であり、ずっとやり続けると、これはコンティニュアス(通常コンテと略す)技になってしまうからです。

コンテはトップクライマーや、水平面でのビレイなどのリスクが少ないときに行うもので、通常はスタカットが普通です。そこから離れることは、一人が落ちれば、もう一人も巻き込まれることを意味します。

それで、終了点を作るには十分であろうという長さをクライマーに提供したのちは、ロープを出すのはやめました。

その結果、一つの支点に2名がぶら下がることになりました…。この支点は、強度が十分ないカットアンカーと呼ばれる支点で、抜けなくてほんとに良かったです。

クライマーは、1点しかないボルトに2名がぶら下がってしまったというリスクには、全く無頓着に、

 自分はほとんどちゃんと立派にリードできた、

と結論付けたようでした。このことにもかなりのショックを受けました。なぜなら、普通の理性で考えると、成功どころか、トンデモクライミングと言っていい内容のクライミングだからです。

このクライミングがトンデモと分からないなら、何がトンデモなんだろうか?というレベル感なのです。しかし、これが成功体験…。

このクライマーが、クライミングする意味、意義は、いったいどこにあるのか?ということがいやおうなしにも透けて見えてしまいます。

その後、このクライマーには、自省や反省の様子は見られず、相変わらずのクライミングを続けているようでした。

従って、私だけがこのクライミングから教訓を得た、ということになります。

このことは私に何か深いところでの傷つきをもたらしました…。

この深い傷つきから、立ち直るのに、コロナ禍の期間を加えて、だいぶかかっています。

■ 鬱へ

一般に、人が危険な行動に駆り立てられるのは、背後に死への希求がある、と言われています。

私は生い立ちが、一般の子供よりも、背負うものがとても大きかったので、幼少期、7歳から希死念慮がありました。

その希死念慮が復活したのは、もとより、この白亜スラブのクライミングにより、父親に赤ん坊の時にプールに落とされたという幼少期のトラウマもフラッシュバックするようになりました。

これは…という事態です。子供のころのトラウマに関しては、水を避けて避けまくるという行動で、回避してきたみたいです。

しかし、なんで、これが復活してきたのか?

人生が私に教えようとしていることは何なのだろうか?ということが私にはまだ見えていません。

クライミングは、山梨時代に余暇を活用して始めただけで、私にとっては特に思い入れがある活動ではありませんが、活動に命がかかるために、安全に楽しみたいという思いから、多くのリソースを割いています。

具体的には、山岳総合センターにてリーダー講習に出たり、都岳連の岩講習に行ったり、クライミングガイドについてクライミングを習得したりです。吉田和正さんというすでに個人になっていますがトップクライマーと言える方から、トラッドを教わったりしました。

しかし、このような努力が水泡と化した、一瞬のあやまち… 

敗退なしで!

を見逃したこと… これは、パラシュートなしでスカイダイビングに行くってくらいの危険行為です。

ギリギリボーイズと言われるトップクライマー集団が日本にはいますが、かれらだって敗退ロープなしなんてやっていません。

そのトンデモな行為を見逃してしまった私自身への深い深い失望…

絶望と言っていいかもしれません…

が、今期の希死念慮の再発ということではないか?と現時点では自己判断しています。

さて、分子栄養学以外にどうやってここから回復していけばいいでしょうか?

2023年10月24日火曜日

【仏教】盗人猛々しい人々… 自分は努力をしないで結果だけを得たがる

■ 仏教徒いい子ぶりっこ&スピいい子ぶりっこ

毎日仏教を聞いている。

仏教でも、微妙に、分かったような、分かっていないような、”いい子ぶりっこ”の人もいる。

例えば、”宿命は変えられないけど運命は変えられる”、とか言う。すると、先生もめんどくさいのか、そこを直さない。 お釈迦様は、”運命も宿命もないよ”と言っているんだけど…?

因縁果の法則は、因と縁があれば、結果が出るというだけで、運命も宿命も、どっちもかんけーないよと言っている。

何度、同じ話を言って聞かせても、こういう風に誤解して理解している人はいる。

スピぶりっ子も最近はなりを潜めてきたと思う…。スピでは結果が出ないからではないだろうか…? 例えば、ポジティブに気分良くしているだけで、結果が出る!みたいなの…。実際は、努力をしないと結果は出ない。まぁ、因縁果の法則からして当然なんだが。

■ 自分の現在の行動が自分の未来を創る。

因とはそういうことで、結局、投資の勉強をしない人が投資で良い成績を収めるはずもなく、勉強しない人が、勉強した人を、ずるいと言って責めるのはおかしいと私は思うんだが…。

私の過去は、かなりこれで、勉強して努力して良い成績をとっている私が、そうでない人たち…例、弟、妹、…に、「お姉ちゃんだけ、ずるい」とか、「できる人なんだから、こっちにも成果を渡せ!」と言ってくる、と言う印象だ。それで、本来はしなくていい家事やら、親の代理やら、果ては生活費の援助までさせられる。

■ 盗人猛々しい人

クライミングでも同じことが起きたような気がする。

都岳連の岩講習に山梨から、はるばる出かけて行ってマルチのセカンドでロープがアップされないときにどうするか?と言うようなことを学んだのは、私であり、相方ではない。
したがって、白亜スラブのようなトンデモ登攀で、ちゃんと戻ってこれたのは私のおかげで合って、相方は失敗を反省するべきだ。成功体験にしてしまっているが。

今の現状だと、良い成果を得ているのは相方みたいな感じで、私は納得いかない…。

こういう時、お釈迦様の教えだと、そういう人は自分で悪因を作っているので、じきに結果をこうむることになるそうです。

悪果を結ぶ前に、反省してもらいたいものだ。ほんとに。 

■ 悪い縁

クライミングをしたいという因があったとしても、悪い縁が来たら、断る、というのは大事なことだと思う。

死んでしまったら元も子もない。

悪い縁を断ち切ってよかった、と思うのが健全な精神かな。

私が撒いた悪い縁は、欲や愛着、愛情に負けたということでしょう… 情愛が深すぎる、という因を断つ訓練は要りますね。

参考:
https://www.youtube.com/watch?v=5R4jHxXW7co

2023年9月15日金曜日

【心理学】 罪悪感と免罪符

 ■ 罪悪感

弟を救うのに、間に合わなかった罪悪感

 → 理解力がない人を救いたい
 → どうすればいい?
 → 思考のプロセスを見せる
 → そのために、ブログ、頑張る
 → 解説してもしても、相手の行動が改まらない

 =改まらない理由は、無知ではなく、それがカッコよいと思ってわざとやっているという承認欲求=侮辱の傷がある人だから…

 → 無知を知らせようと頑張っても、努力の意味なし…

みたいなことに、徐々に陥っていた気がしますねぇ… 

ここまで丁寧に解説しても分からんか!みたいな??

ここまで丁寧に解説してやっても、分からないなら、

 その人を救えなくても仕方ない、という免罪符

を、私は、得たのかも? 白亜スラブの件です。

■ 弟を救えなかった罪悪感ドリブンだったのかも

というのは、私の弟は24歳で早逝し、私はその前の8年間、弟に会っていなかったのです。

まさか、その若さで死ぬとは思っていないので、


 その人との時間を大切にしなかった&大切にする機会を逃した


のです。

しかし、振り返っても、現実的に、18歳~26歳までの私は、あれ以上の過ごし方はできませんでした。自分のことをなんとかするので、アップアップでした。正直、ものすごい激動の時間を過ごしており、弟のことが、家族のことが、頭をよぎることは、ほとんどなかったです。

実際、家族と言うのは、私の中で重荷と位置付けられており、今でも、家族を重んじることはあまりないくらいですから…。

■ 私にとって家族=責務=重荷。 

本来は、家族と言うのは、

 安全基地

となるべきものです。

しかし、私が相手の安全基地になるばかりで、逆に誰か、家族に限らず、つまり、クライミングパートナーですが… 心の安全基地になってくれたことはないです。

頼りになる、って意味ね。(あ、青ちゃんは頼りになりました。おかげで癒しが進みました)

家族、親、兄弟、あるいは、クラスメート、あるいは上司、など、本来あるべき、安全基地、と言うような存在が、本当に安全基地であったことが、あまりないんですよね。

それは小学生時代に、親と兄弟のヤングケアラーとして過ごしたからです。

■ 私を必要とする人を探してしまう…

楽しそうに登っているクライマー=自分を必要としていない人を見ると、じゃ、私じゃなくてもいいっか~、と思ってしまうという癖があります。

私はどこかで、自分を有能だと分かっている覚めたところがあり…、それは、親の親をしていたからだと思いますが…

  私がいないとだめな人

を探してしまう癖があります。しかし、完全に私がいないとだめだと、理性の面でアラートが立つので、ある程度は自立していてほしいと思ったりします(二律背反の葛藤)。

まぁ、人は誰でも、自分も貢献したいという思いがあるので、互いに貢献できる間柄を探すものだと思いますが。

問題は、相手に ”自分の価値が正しく伝わっていない”、ということですね。

相手は、私に

 男のメンツを立ててくれる人だー
 僕のことを正確に伝えなくても、なんとなく理解してくれる人だー
 自分の都合の良いときに、いつでもスタンバってくれる人だー
 自分が生きたいところに問答無用でついてきてくれる人だー
 僕のお母さん役をしてくれる人だー
 自分のニーズを譲っても、僕のニーズを最優先してくれる人だー

と誤解した価値を私に見出してしまうようです。

それは、私が、与えている非言語のメッセージが良くないからではないでしょうかね?自分では自覚できない部分だと思いますが

ある山岳会のリーダーに「自分でもなぜか分からないが、どうしても、つい女性に甘えてしまう」と言われたことがあります。自分の無謀なクライミングのことを自身でも自覚されていたみたいな感じですね。

私からすれば、クライミング歴が圧倒的に私のほうが短いのに、その私に依頼心を持たれてもなぁという感じでした。

私は自分でも、自分の能力を的確に把握しているほうだと思いますが、それを相手は、頼りになるお母さんと言うような捉え方…甘えても良い人、と勘違いするようです。

それは相手方の認知のゆがみなので、私の側では何ともしようがないのかもしれませんが、そこらへんはどうなのか?プロに聞いてみたいですね。

■ 繰り返し

  自分の成長にマイナスになる人を近づけてしまう…

という行動パターンは、私の人生に繰り返し現れているような気がします。

人生にはアップダウンがありますが、ダウンの時に気にかけてくれたクライマーが亡くなったと知り、だいぶショック。

私を大切にしてくれない人ばかりに時間をかけてしまう習慣は本当に治さないと、友人になってくれようとしていた良い人たちを遠ざけてしまう…

このことは本当に心に刻んでおかないといけない。

二度と失敗をしないようにしないといけない。

と思っています。

■ ホワイトピープル事例

例えば、クラックを習いに行った、故・吉田和正さんとの時間は、信じられないほどの短期間で終わりました。享年53歳、悪性リンパ腫での死でした。

当時を振り返ると、吉田スクールの日に、他のパートナーからクライミングの誘いが入ったりして、かなりバッティングが激しかったんですよね。

そして、山岳総合センターで私の班の講師をしてくださった村上先生の死。先生には何度か、九州で講習会を開いてもらう交渉をしていました。でも、私に集客力、知り合いがいなかったんですよね… それで延び延びになっている間に亡くなってしまいました

そして、今回、ラオスでご一緒したいと思っていた、萩原さんの死に出会い、本当に、この人たちとの出会いを大事に出来なかったことに、残念な思いを感じています。ご冥福、心より祈っています。生前にお会いしたかったです。

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【萩原豊】
訃報。俺たちTeamムーンフラワーの隊長で世界中をクライミングしながら旅していたクライマーが今朝、ご家族に見守られて永眠されました。
先輩の奥様が、「ハギさんに「ありがとう」って言いたい人いっぱいいるよね。」
っておっしゃっていたので、美智子さんや海外滞在中の先輩に代わって、世界中にいるハギさんの仲間のみなさんに届けばいいなぁ、と思って報告します。
ハギさんと一緒に旅して来た奥様・美智子さんは、最後の最後までハギさんを支えて、お二人の貴重な時間を大切に過ごされていました。
ハギさんのメッセンジャーに、ぜひメッセージ残してあげてください。絶対喜ぶと思います。
「ハギさん,ありがとう。。。」 合掌
Mr. Yutaka Hagiwara passed away this morning. I think it hurt, but he was spending time at home with Mrs.Michiko and his family till last moment.
I want you to send message to Mr.Yutaka on the messenger. I think he will be pleased.
Rest In Peace and thanks,Hagi san.
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■ なぜ悪いほうとつながってしまうのか?

悪いほうと言うと、言葉がまずいかもしれませんが、その意図するところは、

 危険なクライマー、無謀な行為をそうと認知せず、粋がって登ってしまうクライマー

と言う意味です。

 危険なことを危険と分かっていない → 教えなきゃ! 

と私のスイッチが入ってしまうんですね。 そこが他人事化できていない。

かなり、母親側に近い姉スイッチが入り、「私が守ってやらなくては!」となりそうになります。これは間違った認知です。

正しい行動は、「はぁ~?何やってんの?ばっかじゃないのー」と切り捨てること、です。

実際、子供のころは、弟に対して、そうしていたんでした…。

弟が早逝したことで、私の中に、強烈な罪悪感…後悔まじりのもの…が、作られたことには、間違いありません。

それが私の人生において、スカートのすそを踏んづけている原因のように思います。

■ 自己顕示欲を捨てる

そもそも、

 自己顕示欲の手段としてクライミングを使いたい人

とつながってしまうのは、

 自分の中にも自己顕示欲があるから

なのかもしれません?

さて、だと仮定したら、私はクライミングで何を示したいのでしょう?

自己顕示欲としてクライミングを使っている人にあるのは、侮辱の傷、です。お前はダメな奴だ、と侮辱されたことがあるはずです。

だから、頭ではイケイケクライミングは死へ続く道とわかっていても、それがやめられないのではないかと思います。中には本気で、分かっていない人もいることは分かりましたが。その場合は、自分の価値を、無謀さ=男らしさ、と勘違いしているようだと思いました。

■ クライミングは、きちんとリスク管理したら、大抵の事故は防げます

クライミングは、確かに、リスクを内包するものなのですが… 

本来は、習い始めに、そのリスクを最小化する方法を教わります。(例:懸垂下降)

抽象的な言い方になりますが…

   自分自身の ”自信” にのみ、従って登る、

ということです。これは、山も、クライミング、も変わりありません。例えば、懸垂下降を技術として知らなくて、敗退ができなかったら、自信をもって山に挑めませんよね?

■ 自分で自分を理解できない…という愚かな質問

山で、よく愚かな登山者が山小屋の主に尋ねることは、

 「私にも登れるでしょうか?」

です。そんなの、他人が分かるでしょうかね?? そこを分かるようにしていくのが、登山であり、クライミングなのに…。

とはいえ、自分で考えられない人のために言えば、平坦で3時間で登れる山から徐々にサイズを大きくしていけば、自分がどこを登れるのか、自分自身で判断が付くようになります。

そうやって、自分で、自分に自信の根拠をつけていく活動が、登山であり、クライミングです。

■ 人生の歩み方

これは、人生の歩み方につながっています。

例えば、私の母は、15歳で私が海外の交換留学に行きたがった時、心配のために、行かせてくれませんでした。

しかし、その心配は根拠がなく、当人のほうは、自信たっぷりだったわけです(笑)。別に一人で行ける、と思っていました。それで、それを20歳で実行しました。なんせ、普通の人は親に出してもらっていく、大学すら一人で行きました(笑)。

この現象…周囲があなたにはできないというが、本人はできるという確信がある…は、私が積雪期の山を登っていた時代に、再演現象が起こりました。

ストローハットと言う山道具屋のおじさんには、散々「女性が一人で山に行くなんて危険だ」とか、「積雪期権現なんて100年早い」とか、いろいろ言われました…。私自身が無謀登山者扱いされていたのです(笑)。しかし、私は確実に体力とともに、自信を積み上げていました。間違っていたのはおじさんで、私はそれを証明する義務があるように感じさせられていました…。

実際は、積雪期の登山は、一般的に入門ルートである、積雪期の阿弥陀北稜を、初見&単独で実践しても、何の困難もなく、楽勝であるほどのことだったのです。

余談ですが、積雪期の八ヶ岳・権現は、登頂まで、7回もかかりました。規模的に権現のほうが阿弥陀北稜より大きいからです。阿弥陀北稜は小さい山です。それでも、きちんとしたステップを踏まないでチャレンジすることで、遭難者を多く出しています。山は個別で、どこそこが行けたという内容をきちんとかみ砕かないと、別の○○に行けるという意味にはならないです。

現在日本の登山では、遭難者を多く出しているのは、きちんとしたステップを踏まないで、山のレベルだけを上げていくという悪習慣が、登山界およびクライミング界に、はびこっているため、です。別名グレード主義と言います。この話も別の流れになるので、今回は割愛します。

つまり、人生も同じということが言いたいことです。

基本的に、

 周囲の意見はなく、

 自分の実感(別名、自信)

を大事にして、それを育てていくことで、大きな成果が得られるということです。

そして、自分の身に起こりそうな、厄災、については、事前にシミュレーションしてリスクオフしていく、ということです。

クライミングにおいては、それは、登りに行く前に懸垂下降を知ること。マルチに行きたいなら、マルチでどんな厄災…が起こりそうか?自分でシミュレーションするっていうことです。たとえば、ロープが上がらない場合、どうしますか?

その場合の対処方法を知らないのであれば、セカンドでもマルチには行けませんよね?

そういう事前のシミュレーションなしに、リスクオフせずに行く…ということが、
 
 無謀なクライミング

の正体です。

これは、大きな会を率いている年配の人でも、若い人にきちんと伝える力がある人はいません。私の師匠であった青ちゃんでも、です。その計算こそが、クライマーの伝家の宝刀、だからです。よほどの人にしか、教えないと思います。

■ 自分で考えれば誰でもわかる

でも、ぶっちゃけ、自分で考える人にはすぐにわかることです。

マルチでロープアップされない、自分のミスでロープが上がらない場合にどうすればいいか分からない、ということには無関心なのに、今日の宿が見つからないことには焦る、フェリーを乗り逃しそうだから、本気ダッシュする、というのは、全く本末転倒です。

 ぶっちゃけ、どっちに命がかかりますか? 

クライマーっていうのは今日の宿がないならその辺で野宿しても構わないものなんですよ。全然リスクじゃない。フェリーを乗り逃したなら、明日乗ればいいでしょう。

きちんと論理的にクライミングを事前シミュレーションするだけの思考力がないことは、クライミングにおいて致命的な欠陥です。

■ そういう人を助けたい

と思ってしまうのが、私の思考の癖であり、自分自身を行き詰らせてしまう、悪癖です。

私はこれは確実に治したいと思っています。

■ まとめ

少々とっ散らかってしまったのでまとめます。

・24歳で弟は死に、私だけ生き残った罪悪感から、無謀クライマーを放置できない
・同じ罪悪感から、救えない人を救おうとしてしまう
・救えないことを確認し、救えなくても私の性ではないという免罪符を得ようとしてしまう
・そのことが人生の無駄な時間になっている
・心の安全基地がないほうを選んでしまう
・私がいないとだめだ、と思わせられる人を選んでしまう
・私に母親役を求める人を選んでしまう

本当に私がクライミングで伝えたいことは…?

 ・きちんとリスクを因数分解し、それを一つ一つつぶしていくことができれば、クライミングは、無謀ではなく、危険もさほどではなく、岩との対話を楽しむ、安価で健康的な生涯スポーツとなりえ、この行動パターンは生きていく指針となる、自分自身に自信の源泉を求める行動パターンである