毎日仏教を聞いている。
仏教でも、微妙に、分かったような、分かっていないような、”いい子ぶりっこ”の人もいる。
例えば、”宿命は変えられないけど運命は変えられる”、とか言う。すると、先生もめんどくさいのか、そこを直さない。 お釈迦様は、”運命も宿命もないよ”と言っているんだけど…?
例えば、”宿命は変えられないけど運命は変えられる”、とか言う。すると、先生もめんどくさいのか、そこを直さない。 お釈迦様は、”運命も宿命もないよ”と言っているんだけど…?
因縁果の法則は、因と縁があれば、結果が出るというだけで、運命も宿命も、どっちもかんけーないよと言っている。
何度、同じ話を言って聞かせても、こういう風に誤解して理解している人はいる。
スピぶりっ子も最近はなりを潜めてきたと思う…。スピでは結果が出ないからではないだろうか…? 例えば、ポジティブに気分良くしているだけで、結果が出る!みたいなの…。実際は、努力をしないと結果は出ない。まぁ、因縁果の法則からして当然なんだが。
■ 自分の現在の行動が自分の未来を創る。
因とはそういうことで、結局、投資の勉強をしない人が投資で良い成績を収めるはずもなく、勉強しない人が、勉強した人を、ずるいと言って責めるのはおかしいと私は思うんだが…。
私の過去は、かなりこれで、勉強して努力して良い成績をとっている私が、そうでない人たち…例、弟、妹、…に、「お姉ちゃんだけ、ずるい」とか、「できる人なんだから、こっちにも成果を渡せ!」と言ってくる、と言う印象だ。それで、本来はしなくていい家事やら、親の代理やら、果ては生活費の援助までさせられる。
■ 盗人猛々しい人
■ 盗人猛々しい人
クライミングでも同じことが起きたような気がする。
都岳連の岩講習に山梨から、はるばる出かけて行ってマルチのセカンドでロープがアップされないときにどうするか?と言うようなことを学んだのは、私であり、相方ではない。
したがって、白亜スラブのようなトンデモ登攀で、ちゃんと戻ってこれたのは私のおかげで合って、相方は失敗を反省するべきだ。成功体験にしてしまっているが。
今の現状だと、良い成果を得ているのは相方みたいな感じで、私は納得いかない…。
こういう時、お釈迦様の教えだと、そういう人は自分で悪因を作っているので、じきに結果をこうむることになるそうです。
こういう時、お釈迦様の教えだと、そういう人は自分で悪因を作っているので、じきに結果をこうむることになるそうです。
悪果を結ぶ前に、反省してもらいたいものだ。ほんとに。
■ 悪い縁
クライミングをしたいという因があったとしても、悪い縁が来たら、断る、というのは大事なことだと思う。
クライミングをしたいという因があったとしても、悪い縁が来たら、断る、というのは大事なことだと思う。
死んでしまったら元も子もない。
悪い縁を断ち切ってよかった、と思うのが健全な精神かな。
私が撒いた悪い縁は、欲や愛着、愛情に負けたということでしょう… 情愛が深すぎる、という因を断つ訓練は要りますね。
参考:
https://www.youtube.com/watch?v=5R4jHxXW7co
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