■ 弟に会いたい
最近、心理学の勉強をして、いろいろと分かってきたのですが…
クライミングのような危険な活動をしていること=弟に会いたい
ということかもしれん…。
試しに言ってみたら、かなり心に響いた。というか、泣けてきた。
ああ、弟に会いたい…
というか、まさか自分が弟に会いたがっているなんて、全くそういうこととは気が付かなかったんだが…年下の男性には超・弱かったよなぁ…
それでクライミングを安全に行うためには必要とされる、”正常な判断力”を鈍らせていたのか。(例:白亜スラブに行ってしまう)
■ 弟の死へのグリーフ?
弟の死へのグリーフが済んでいない…が、いまさらどうやって解消しようというのか?
亡くなったのはもう24年も前のこと。死が納得できない、というのは、突然死では良くあることのようだ。
死んだ人の死の悲しみから立ち直れない人の映画をたくさん見るとか、涙を流すことで癒されるのだろうか?
■ 父に愛されたかった
そして、次が、”私だって父に愛されたかった”、だ。
これは、うすうす気が付いていた。
気が付いたきっかけは、ある山岳会の友人のFB投稿。
海外赴任中と思われる男性が、まだ4、5歳の娘を連れて、高峰に登山するんだが、一回も妻が出てこない…娘の溺愛ぶりがほほえましいが、いったいどうして妻が出てこないのか?男親はこんなにも娘にぞっこんになるものなのか…と驚いた。
と同時に、もし男性がこんなにも娘に入れ込むのなら、なぜ我が父は、私と弟、妹の3人を捨てたのだろうか?と思った。
私は父の膝で遊んだ覚えがあるので、兄弟全員を嫌いになった責任は、私にあるのか?
子供が嫌いになった=私が嫌いになった、のだろうか?と思ったりもしたが、それは、子供が良く行う自動思考だろう…
■ 真実は父もただお子様だった
父が私たち兄弟を捨てた真実が知りたいと思い、それがクライミングと言う活動につながった…クライミングは、男性観察のチャンス、と言う感じだからだ。
結論的には、単純に父が人として成長できていなかったから…ということがクライマーの観察結果より得られた(笑)。
子供を愛すには、親は父親でも母親でも、自分を後回しにしなくてはならず、それができない男性は多い。その場合、妻が夫の母親役に就任することになる。
妻に母親役を求める男性は、大体は、自宅に父親がいないか、いても影が薄いか、で、父親が母親を愛しいたわる姿を見たことがない子供であることが多い。
つまるところ、女性の愛し方を父親を通じて学ぶ機会がなく、女性のロールモデルが母親だけ、となると、母親像=女性像になってしまう、ということのようだ。
■ 父親との関係=社会との関係、
父親との関係は、社会との関係なので、これは…というので、何とかしたい。
と最近以上の二つが自分の中にあると理解した。
しかし、いまさら、父親を求めても仕方がないんだが…。
子供時代を振り返ると、父親がいないことを苦にした覚えはあまりなく、父を思い出すことはなく、むしろ、独立心旺盛、とポジティブに判断されていた。
今は独立心旺盛というより、男性に対して当然要求すべきことが要求できない、ということになっているかも? 自立系武闘派女子みたいな感じ。
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