クライマーが心理学を勉強する意義…というか私の個人的な意図は、
自分を殺しそうになった相手をいかにして許すか?
です。
具体的に言えば、白亜スラブ。私はあの登攀で、
自己効力感(セルフエフィカシー)
を失いました。
それまで、いろいろな人に、クライミングは危険だ、危険だ、と盲目的に言われても、具体的にリスクに対応する能力が自分には備わっているから、大丈夫だ、と感じてきました。
そして、それは実際、事実であり、
雪山初心者で登っていた八ヶ岳権現岳や積雪期の金峰山からスタートし、何とか自力で沢の師匠を見つけ、初級の沢であればリードで行けるようになった沢登り、そして、3年で海外へ単独で登攀に行くようになったフリークライミングで、具体的な登攀としては、ラオスに一人で生き楽しんで登れたこと、台湾の岩場に一人で行き、楽しんで登れたこと、などに結実しました。すべて、あぶない危ないの大合唱を、自分自身でリスクを分析しながら、進み、成功を収めてきました。
ところが、その登攀の傍ら、日ごろ、同じ方向を向いて互いの登攀に協力し合っている、助け合っている、と私が感じてきた…いや信頼すらしていたクライマーの、きわどいルール違反…具体的には、”敗退ロープなし”で出かけるという行為の危うさを事前に予期し、自分をリスクから守ることができなかったのです。
ほんの小さな、うっかり…から、です。この「敗退なしで!」という言葉の傲慢さ、付けあがり、無知、などのもろもろの悪徳、を見抜くことができなかったのです…。
私はクライミングの危険から、身を守れていない… その事実が自分の目の前に突き出されたのでした。
この敗退なしで!をスルーしてしまった理由は、私の中にも、まぁ大丈夫だろう、とか、まぁいつも敗退しないで済んでいるからなぁ…という甘さがありました。もしかしたら、無知や傲慢も自分の中に持っている資質なのかもしれません。心理学ではそう考えることが多いからです。
この資質を自分が乗り越えられなければ、私は今後、クライミングで起こる危険に巻き込まれ、一つしかない自分の命を守っていくことができないでしょう…
あの移民社会のアメリカでの、様々なトラブルからさえも、自分を守ることができたのに、日本の田舎で、のんびりとした環境で行われる一見問題ないクライミングでのリスクから、身を守れないとは…。
■言い訳
言い訳は、若くして亡くなった弟に、自分より年が若いクライマーを重ねてしまっていた、ということが考えられるかもしれません。
しかし、弟には、逆に、遠慮なくずげずげと指摘ができるのが、姉の特権かもしれません。
私は場面緘黙、と言われる状態があの時ありました。そうあの岩場あの場所で、です。
その場面緘黙は、「やっぱロープは60だね!」と言われたときに、は?と言えなかったことです。
25mと35mのピッチをつないでしまったミスを、60mロープが救えるか?というと救えません。25+35は、ぴったり60mだからです。それでは、セカンドを上げるための支点を作る分のロープが足りません。
■ 秘策を使った
私はあの時、ビレイ中にロープいっぱいと叫んでも、まだぐいぐいとロープが引かれるので、この終了点政策文程度のロープが足りない場合の秘策として師匠から教わった、ビレイヤーが少し上がってやる、という技を使いました。
この”技”は、教科書には載っていません。一般クライマーは、もちろん教わっていません。
これは、私がクライミングで身を守れるように、と親心から教えられていた技です。
私は所定のビレイ位置から、3mほど上がったのですが、それでもロープがぐいぐい引かれつづけるので、上がるのを辞めました。なぜなら、ほんの少し足りない程度で使う技であり、ずっとやり続けると、これはコンティニュアス(通常コンテと略す)技になってしまうからです。
コンテはトップクライマーや、水平面でのビレイなどのリスクが少ないときに行うもので、通常はスタカットが普通です。そこから離れることは、一人が落ちれば、もう一人も巻き込まれることを意味します。
それで、終了点を作るには十分であろうという長さをクライマーに提供したのちは、ロープを出すのはやめました。
その結果、一つの支点に2名がぶら下がることになりました…。この支点は、強度が十分ないカットアンカーと呼ばれる支点で、抜けなくてほんとに良かったです。
クライマーは、1点しかないボルトに2名がぶら下がってしまったというリスクには、全く無頓着に、
自分はほとんどちゃんと立派にリードできた、
と結論付けたようでした。このことにもかなりのショックを受けました。なぜなら、普通の理性で考えると、成功どころか、トンデモクライミングと言っていい内容のクライミングだからです。
このクライミングがトンデモと分からないなら、何がトンデモなんだろうか?というレベル感なのです。しかし、これが成功体験…。
このクライマーが、クライミングする意味、意義は、いったいどこにあるのか?ということがいやおうなしにも透けて見えてしまいます。
その後、このクライマーには、自省や反省の様子は見られず、相変わらずのクライミングを続けているようでした。
従って、私だけがこのクライミングから教訓を得た、ということになります。
このことは私に何か深いところでの傷つきをもたらしました…。
この深い傷つきから、立ち直るのに、コロナ禍の期間を加えて、だいぶかかっています。
■ 鬱へ
一般に、人が危険な行動に駆り立てられるのは、背後に死への希求がある、と言われています。
私は生い立ちが、一般の子供よりも、背負うものがとても大きかったので、幼少期、7歳から希死念慮がありました。
その希死念慮が復活したのは、もとより、この白亜スラブのクライミングにより、父親に赤ん坊の時にプールに落とされたという幼少期のトラウマもフラッシュバックするようになりました。
これは…という事態です。子供のころのトラウマに関しては、水を避けて避けまくるという行動で、回避してきたみたいです。
しかし、なんで、これが復活してきたのか?
人生が私に教えようとしていることは何なのだろうか?ということが私にはまだ見えていません。
クライミングは、山梨時代に余暇を活用して始めただけで、私にとっては特に思い入れがある活動ではありませんが、活動に命がかかるために、安全に楽しみたいという思いから、多くのリソースを割いています。
具体的には、山岳総合センターにてリーダー講習に出たり、都岳連の岩講習に行ったり、クライミングガイドについてクライミングを習得したりです。吉田和正さんというすでに個人になっていますがトップクライマーと言える方から、トラッドを教わったりしました。
しかし、このような努力が水泡と化した、一瞬のあやまち…
敗退なしで!
を見逃したこと… これは、パラシュートなしでスカイダイビングに行くってくらいの危険行為です。
ギリギリボーイズと言われるトップクライマー集団が日本にはいますが、かれらだって敗退ロープなしなんてやっていません。
そのトンデモな行為を見逃してしまった私自身への深い深い失望…
絶望と言っていいかもしれません…
が、今期の希死念慮の再発ということではないか?と現時点では自己判断しています。
さて、分子栄養学以外にどうやってここから回復していけばいいでしょうか?
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