■ 要約
以下の文章は、クライミングを通じて他の人々との関係についての悩みや、自己探求のプロセスについて述べられています。
筆者はクライミング愛好者で、子供時代の楽しさを再体験しようとしていた。しかし、逆に、クライミング仲間たちが自分を支えとして求めているように感じている。
筆者は様々な関係で他人の感情や要求に応じ、クライマーたちの自己中心的な側面に苦しんでいる。
具体的な事例が挙げられ、筆者が他人を助けたり、相手の要求に応じたりする一方で、自分の成果を伝えると、相手が不機嫌になることがあります。
これらの関係が、過去の家庭環境や成人後のインナーチャイルド(内的子供)と関連がある可能性を検討しています。
自分の成功に制約を感じていることが悩みの中心です。筆者は自分中心の視点を育てる方法についてのアドバイスを求めています。
■ 以下、本文
私は筋金入りのACなのですが、なんだか趣味のクライミングで、なぜか人を癒すことばかりを再度要求されているような気がし始めました。
私は、大人になって、失われた子供時代を、再演するために、クライミングをすることになったと思っていたのですが、子供時代を十分満喫する前に、クライミングでは、他の人が自分のインナーチャイルドの癒しを私に求めてきているのでは?って感じです。
理論的にそういうことは、あるのでしょうか?私は自分のインチャを癒し、自分らしくありたいのですが…。
以下は事例です。
1)怯えたチャイルド
クライミングの師匠と海外に行ったら、飛行機が遅れ、夜中になってしまい、今日は宿泊先にたどり着けないというので、師匠が慌て始め、怯えて収拾がつかない様子になった。弟子の私が機転を利かせて、宿泊先を見つけてきてあげて丸く収まったが、クライミングでは、向こう見ず自慢の師匠が、低体温症で死ぬこともない、町の中で、夜宿泊できない程度のストレスにあまりに弱いので驚いた。
私が彼の怯えたチャイルドに対し、”助けてくれる大人”として登場したのか?
2)拗ねたチャイルド
クライミングの師匠がずっと自分の話ばかりする。当事者でなければ、聞いても分からないような過去の栄光の話。普通は会話は変わりバンコなので、私が自分の話をしようとすると、さえぎって話し続ける。この師匠から、無条件に愛してほしいと言われた。そんな無理を普通は人に要求しないので、かなり驚いた。これはどういう現象なのか?
3)毒恥でいっぱいのチャイルド
社内LANの電源を入れる当番で大失敗したそう。そのことを盾にとって、すべてIT関係で作業が必要なことは、私に当然のようにふってきて、やってあげないと怒り始める。しかも、怒りの内容がとても的外れ。例えば、チケットを取るのに、ローソンは取れて、セブンは取れないなどがあると、そんなのおかしいだろ!とコンビニ店員に食って掛かる。そして、その行為の同意を私に求める。私が、それは違うよ、なぜなら、と合理的に説明してやると、むっつりして一日、口をきかない。昔、昼行燈と周囲に揶揄されて、頭が悪い奴だとバカにされて育ったそうだ。しかし、今は誰もそんなことは自分で言わない限り思いもつかない。すでに定年退職後だし、子供も立派に育っている大の大人だ。私がいなくなると、娘さんが私の代わりに世話を焼く羽目になっている。
4)寂しいチャイルド
一人で家族から離れて、山の中の別荘で暮らしており、普通に寂しいのだろう…と思い、一緒にクライミングしませんかと誘ってあげた。互いに暇なので、毎週〇曜日はクライミングね!という安定的な関係になったところで、新人の若い男性クライマーを連れて行くと、怒る。その連れて行ったクライマーではなく、私に怒りをぶつける。
その様子が、弟や妹が生まれた長子みたいな感じで、根拠なく、私を独占したがる。ので機嫌を取るのに、私のほうが相手の感情の手当てをしなくてはならず、いろいろと大変だった。一般的にクライミングは、新人を教えるのには、安全のためにどうしても2名は経験者が必要なので、なんで、経験が浅いクライマーを私が連れてきたくらいで怒るのか、理解できなかった。特にその人は登山学校で校長先生をしていたと私に自慢するほどだったので…。
もう一人は夫。私がクライミングやヨガの先生として知名になると私の活動の邪魔をする。以前は仕事がその地位にあったが、仕事の時は拗ねていなかった。通訳の仕事の時は、夫は妨害してきた。また、拗ねた場合は、部屋の中に引きこもる。
5)悲しいチャイルド
これは、自分の中に、弟を24歳の若さで失いその前の8年間会っていなかったので、悲しいチャイルドがいるのを感じます…
6)怒ったチャイルド
クライミングで相方に殺されそうになったので、怒ったチャイルドを出すのは良いことのような気がします。相手に亡くなった弟を投影していたので、怒れなかったのかもしれません。
7)見捨てられチャイルド
師匠と海外に遠征していたら、現地のクライマーが、師匠でなく、私を別の岩場に誘う。(多分、私が行くと言えば師匠がやむを得ず動くと思っている)私が相手に良い返事をすると、「お前とはもう登らない」などと言って師匠が脅しをかけてくる。現地のクライマーは、二人ともに対して好意で言っているのにもかかわらず、その好意が自分ではなく私に向けられたと勘違いし、すぐに私を捨てる捨てると連発する。
8)ワンダーチャイルド
岩場で登っていると現地の人がフルネームで呼んできてくれる有名人。楽しそう。
しかし、不思議なのは、現地の雑誌社の取材を断ること。なんで受けないの?と聞くと、おれなんか…という返事だった。それで、私に背中を押してほしいのかと思い、次は受けたほうがいいよと返事をしておいた。
後日談で、非常に難しくてチャレンジする勇気が出なかったものを登ってきたそうで、報告を聞いてあげた。
しかし、逆に私自身が成果を師匠に話すと機嫌が異様に悪くなる。なぜ?
このことで、”親よりも成功するな”の禁止令を私に植え付けようとしているような気がする。
全体として、クライミングパートナーではなく、心理カウンセラーか、親代わりとして採用されたような気がする。
それは、母に子供のころ、母の心理カウンセラー役をさせられていたためではないだろうか?というのが、私の疑問です。
自分のインチャについては、なかなか深堀りができないのは、相手のインチャばかりが良く見えてきて、自分のインチャについては後回しになってしまうという悪しきアダルトチルドレンの習慣なのではないだろうか?
どうしたら、これを自分中心にできのだろうか?というのがもっぱら悩みです。
悩みの中心は、”親よりも成功してはいけない”が私に禁止令としてあるような気がする、ってことなのですが、それは子供時代にはなかったインチャが、成人後にできることもあるのか?と思っています。
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