■ ”被害者としての自分を知る”
事例:
師匠が、私がラオスで、急速上達して帰ってきたら、ものすごく不機嫌になり、そのあと行った韓国アイスでは、駄々っ子状態で、かなり大変だった。
経過:
その事件は、私にとって、不可解、で、長らく謎であり、その謎ときに私の持ち前の好奇心は向けられた。
■ 自らの意思で抑圧私はなぜ、この不可解な行為を 不可解、と受け取り、理解できなかったのか?
それは、私が、自らを被害者として認定することを拒否し、抑圧してきたからである。
と突然ひらめいた。
私は抑圧されていた…のは、自ら、自分をかわいそう、という自己憐憫に浸ることが嫌だったので、意志として、自分をかわいそうな存在だと考えない、子供三人の母子家庭に生まれた長女であるというハンデについて、無視する。という選択を若いころ…17歳のころ、取ったからだ。
実際ハンデは私を強くし、優秀にしこそすれ、弱くはしなかった。
■ 抑圧した場合、理解自体ができなくなる
師匠は、私がクライミングで師匠を超えると明らかに気分を害しているようだった。
母は、私が母を超えると、明らかに気分を害しているようだった。
このような現象がみられる場合、普通の合理思考や普通の感情を持った人間なら、弟子が師匠を超えたら喜ばれるはずだし、子が親を超えたら喜ばれるはずなので、おかしいな、と気が付くだろう。
気が付くだろう。この感情のゆがみに。
しかし、私は、それに気が付いてしまうと、
私は弟子として愛されなかった、
私は子供として愛されなかった、
という結論を持たざるを得ないため、自分がモラハラの対象になっていること自体に気が付くことが嫌だったんだろう…
母の感情に気が付くのを否定したため、師匠が母を再現するようにして訪れて(投影)、弟子として、あるいは、彼の子供として、モラハラを受けていたんだなあ…
ということが改めて51歳にして分かるようになった。
51歳の心の成熟を待たねば、この事実…真実… 師匠は私をトロフィーワイフならぬ、”トロフィー弟子”として欲し、母は子供を”トロフィーキッズ”として欲していた、ということを理解するのは、私にはつらすぎる理解だったのだろう…
今となっては、教育虐待と称されるお受験先取り…私なんて、幼稚園から、お受験しているんだが…それは純粋な愛情からもたらされたものと言うよりは、自分を良く見せるための優秀な子供が必要だった、ということになっているんだよなぁ…
子供時代にも、うすうすと感じていたんだが…あまりに残酷なので気が付かないようにしていたんだった…。
これが私の、不正の傷、ということだろう…。
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