2024年3月15日金曜日

【自己愛性パーソナリティ障害】共依存はACだけではない

 ■共依存と自己愛性パーソナリティ障害

自己愛性パーソナリティ障害の人は、エンパス(共感性の高い人)を共依存関係に持ち込もうとします。

 共依存=自分の道具として相手を用いることができる

という状態だからです。

■ 傍証: 自立を促さない指導者 × 共依存

自立を促さない指導者は、自分の道具として生徒を利用している可能性があります。

同じことで、自立を促さない宗教指導者も信者を共依存…利益の源泉として利用している可能性があります。

相手が、こちらのクライマーとしての自立を喜ばない、というのは危険信号だと思ってください。

■ 傍証: 主役を取られて拗ねる= 自己愛性パーソナリティ障害

一般的に言って、先輩の側が、後輩の後ろを歩いてくれるのは、当然のことです。

親が子供に合わせて遊ぶのが当然だからです。

したがって、2名のクライマーがいるときに、必ずしも同レベルであるとは限らないので、Aが行きたいところに行ったら、次はB、という風に順繰りになりますし、いくらか自分のほうが登れる場合、先輩の立場になった側が譲歩するのは普通のことです。

私ですら、ラオスでは、後輩指導しています。

なので、自分の行きたいところにはビレイヤーとして連れていくが、相手がその時の成長レベルで行くべきルートには自分は行かない…例:荒船山昇天にセカンドで連れていくが、中山尾根に連れては行かない、

というのは、エゴ、であり、自己愛性パーソナリティー障害の傍証になります。

現在クライマー社会では

 自分に得なことしかしない=クライマーなら当たり前

という社会常識を団塊世代は築いてきていますが、実際の社会では、そんな態度では、じきに誰も助けてくれなくなります。

師匠の青ちゃんはアイスはいろいろリードしてくれましたが、あとで私がすいすい登るので、なんかリードして損した感というか、俺がかっこいい!っていうのを示し損ねた感というか…主役の座を取られて? 悔しそうでした…。

でも、もし内的動機付けでクライミングしていたらそうなるはずがないのでおかしいですよね?

正直、アイスクライミングは、私は自分で勝手に成長したのに、俺が育てたんだと言いたがっているような気がしました…。当時は、単に私のアイスクライマーとしての成長を喜んでくれているのだと思っていたので、気にしないでいたのですが…甘かったです。

青ちゃんとは、誤解による、すれ違いが多かったです。なんせ、私は、易しく簡単なところでリード経験を積みたいのに、難しくて、短く、初心者のリードには向かない湯川しか彼は行きたがらない(クライミングにお金をかけたくない)ので、それではトップロープしか習熟できないのが、コンペに出た理由なんですよ。リードを捨てたとたんに、登攀スピードが上がりました(笑)。コンペでは5位でガッカリでした。

振り返ると、子ども時代、優等生の私は、母の自己肯定感の源泉でした。だから、小学生2年生のころから、”あきらめ感”&”人質感”がありました。母の人質…。

私が母の自己肯定感のため、ヨイ子として人質になることで、弟と妹は、子供らしい自我を守れる。つまり私は弟と妹の盾ででした。私は大人の都合によって、つくられた優等生でした… だって、音楽や体育も5だったんですよ?んなわけないじゃんね?そりゃ誰だって、これは大人の都合で作られているんだな~って気が付きますよねぇ。

念のため、いっときますが、学業のほうは、いくら先生でもテキトーには5つけれないですからね。

九州では、クライミングでもこれが起きそうになりました。

私が欲しいと思っていない、”優等生クライマーアイデンティティ”を与えたいと思っていたのが、たぶん、熊本の会長さんです。

事実を言って、大変申し訳ないですが、人工壁で落下率0.3に調整された壁と同じ登り方を、外岩で会員クライマーに無理強いしています。具体的に言えば、3回落ちたらハイ交代。4本5.10Aが登れたら、もうBへ。って、そういうのを教えている…(汗)。しかも、これが間違った指導法だという自覚がないので、そこでクライミングを教わった人もみんな、人工壁と同じ期待を外の岩に向けることになります。

すでに九州に来たときに、自立したクライマーであり、自分で岩と対話しながら、登りたい思いを持っている人は、こんな登り方は邪魔でしかないのですよ…。

何回も嫌だという意思表示をしてみましたが、自分の指導があっているという信念が強固なので、ダメです。

…というか、九州では人工壁のコンペクライマーが、大会で名前を売れないときに、初登や高難度で名前を売るという用途に外岩が利用されており、税金から遠征費を取るための口実づくりになっています。

自然界で、自然に親しみながらアウトドア活動を楽しむ、という本来の姿とは、全く別の活動になっています。

有名クライマーなら税金が出る、ということを子供に経験を通して教えることになり、そうなると、登れなくなった俺は価値がないんだ、というメッセージを子供時代に植え付けているということになります。

登れない俺なんか価値がないんだ…という大人のクライマーにどんな未来が待ち受けているか?考えたことがあるでしょうか?

クライミングと言えば、九州では、イコール売名行為のことになっていて、それを指導者のほうも受け入れているので、もはや高難度を自分が登れないから、というので、指導者自信が、発言自粛していたりします。指導者も自尊心に問題を抱えているということです。

しかし、いったい、それってどんな指導なんです?

クライミングさえできたら、他の何もできなくてもいい、横柄でも許される、失礼なことを目上の人に言っても良い、そんな指導です。

大体、外岩の課題ってそんな風にして、登るものではないです。

もっと奥が深い。その奥の深さを教えるのがクライミング指導でしょう。

私はこのアイスの課題は、ずっとすいすい登れるようになりたい、と思っていました…。なぜなら6級で氷柱をすいすいと登れることが大体のアイスのルートのリード許可だからです。ルートで6級が出てくるってめったになく、大体は5級止まりですから。だから、6級でスイスイ、が5級の安全保障になるわけですよ。

アイス6級が、私の岩での5級や瞬間風速5.11、5.9では、もはやまず落ちないというレベルとシンクロしています。

ここに到達するまでに3年努力しています。これ、ラオスの石灰岩をたくさん登ったら、なぜかアイスのほうが上達して帰ってきたんですよね(笑)。


さて、話を戻しますと、

弟子が成長すると嬉しくない師匠

子どもが自立すると嬉しくない親

生徒が自立すると嬉しくない先生

信者の自立を喜ばない宗教者

どうもどれもなんか変ですよね? 

私の母は、共依存関係を築きたがっている人でしたので、その関係を抜けて自立したことに私は罪悪感がありました。

実際、母を捨てた!と妹からなじられました。しかし、その当人の妹が、私にSOSを求めてきたので、私の選択…自立…が、正しかったことは証明されました。

■ 価値のない関係: ピンチの時に捨てる相方

まさかの時の友が真の友、です。

怪我をして登れなくなっているときに、じゃ治ってから来て、と捨て、リハビリクライミングに付き合わないパートナーは、毒パートナーです。本人は、自己責任を盾に登らない理由を言ってくると思いますが、単純に自分にとって利用価値がないから捨てただけです。

師匠の青ちゃんは、抜糸の時、私にSOS出してきたんですよね…付き添いに来てくれって。まだあって3日め。びっくりしました。

よっぽど頼る人がいないのかな?と思ってしまいましたが、この発想自体が、エンパス傾向です。

AC自助会に行ったら、親を亡くしたという女性が、明らかに私に狙いを定めたと分かる様子で私と友人関係になろうとしたので、私はかなり驚きました。

彼女とは興味関心の共通点が、ゼロで、お互いに何かを助け合える点があるとは思えなかったのです。理由が分かるまで付き合ったら、誰か男性を紹介してほしいってことでした(汗)。

そういえば、クライミングパートナーのA木さんも長年、誰か女性を紹介してほしいというので私と組もうとしていましたが…、ヨガのクラスに連れて行ったりして、女性との接点を増やしてあげましたが、彼、人気なかったです。

そりゃ、自分を示すのに忙しくて、相手への思いやりがなければ、モテは無理って感じでした。男性は女性を見た目だけで選ぶので、女性も同じだと思っているようなのですが、女性にとって男性の見た目は、嫌でなければいい、程度のモノだったりすることが多いです。

彼、私には、ビンの蓋を開ける程度の親切をするのもイヤイヤそうにしていました。

私には、九州クライミングは前時代的、としか思えませんでした。

いかに前時代的か?どんな優れたクライマーでも、この前時代的クライミングに現代をもたらすのは無理だということを示そうと企画されたのが、屋久島にトラッドを教えに行こうとしたジャンボさんと倉上さんの動画なのではないかと私は受け取りました。

あの動画はなんとかポジティブに作ってありましたが、隠しきれないで、傲慢な屋久島のクライマーの様子が映し出されていました…きっと現地ではもっと、ひどい目に遭ったに違いない。

■ 嫌な予感

九州でクライミングし、クライマーの一員として迎えられると、自分には責任がない、めんどうなことの、しりぬぐいをさせられることになる、という私の予感は、たぶん、あっているんじゃないか?と思います。

例えば、私の母は私に、弟と妹の学費を負担してもらおうと思っていました…。

というわけで、九州のクライミングで追体験させられたことは、

1)自分の楽しみは取り上げられる

2)自分が作り出したのでない、全く関与していない社会問題の、ケツ拭きを押し付けられそうになる、

3)いやがるそぶりを見せると非難され、仲間外れのいじめにあう

4)なぜか罪悪感を持つ羽目になる

ということでした。

あー、長年の便秘が解消したみたいなスッキリ感です。


2024年3月14日木曜日

【心理学】エモーショナルトリガーとクライミング

現在、フラッシュバックで岩場で登れない件の対策。

■ 対策:

1)被ばく量を少なくする 

2)自分にとって心地よい人に囲まれる経験をする ( 相手を思いやる人と接する、学びがある集団に属す)

3)自分は人間であり、他の人に理解され、他の人を理解してやることができる存在であることを実感する経験を積む

4)I am here not there, I am now, not then, と自分に言うことで、今ここであり、今はトラウマが起きたその時ではないことを理解する

 HERE、NOW、SAFE 

が最も重要。

5)自分が好きなことを思い出す。

6)対策になる儀式を持つ。 

ーーーーーーーーーー以上、https://youtu.be/sAwUK1-2eSo?si=DQjulqImmoV1m3Oxより引用

これを私バージョンに置き換えます。

1)被ばく量を少なくする

クライミング頻度を下げます。もっと適切な人々とかかわる時間を長くします。

→ 岩場に行く頻度を2週間に一回にする

2)自分にとって心地よい人に囲まれる経験をする (相手を思いやる人と接する、学びがある集団に属す)

例:ラオスでのクライミング。

3)自分は人間であり、他の人に理解され、他の人を理解してやることができる存在であることを実感する経験を積む

例:私の場合は、通山珈琲に行ったり、アキさんのレストランで夕飯を食べたりしています。

4)I am here not there, I am now, not then, と自分に言うことで、今ここであり、今はトラウマが起きたその時ではないことを理解する

 HERE、NOW、SAFE 

が最も重要。

白亜スラブのような目に二度と会わないような対策をしっかりすることが大事です。マルチには、容易には行かない。

5)自分が好きなことを思い出す。

私はバレエが好きで、スタジオにいさえすればハッピーなのでした。クライミングができないなら、バレエをすればいいだけ。

最近は水泳も同じ効果があります。

6)対策になる儀式を持つ。 

クライミングで、きちんとした手順をなぞっているベテランクライマーは多いです。イチローが打席に入る前に行うプロトコルみたいな感じです。

同じようにいつもなぞる手順を確立すると良いと思います。例えば、クライミングならば、パートナーチェックです。

こころの錨、として、パートナーチェック以外にも、セルフビレイのチェック、山に行く前の山行計画のチェックを習慣化しましょう。

ーーーーーーーーーーーーーー

【トラウマ対策】Emotional Trigger(感情のトリガー)対策

What are emotional triggers and how can we manage them?

対策は、

1)被ばく量を少なくする

2)自分にとって心地よい人に囲まれる経験をする (相手を思いやり、学びがある集団に属す)

3)自分は人間であり、他の人に理解され、他の人を理解してやることができる存在であることを実感する経験を積む

4)I am here not there, I am now, not then, と自分に言うことで、今ここであり、今はトラウマが起きたその時ではないことを理解する

 HERE、NOW、SAFE 

が最も重要。

5)自分が好きなことを思い出す。

6)対策になることを持つ。 

2024年3月7日木曜日

【心理技術の応用事例】承認を与える

■ 今日の水泳のこと

水泳の先生が、ちょっとほかのインストラクターの悪口を言った…「あんなしか教えないで、〇〇円も取るんだよ」

■ 目上の人に厳しい目を向ける日本人たち

当惑して、男性の友人に相談した。

男性の友人は、「でも、80歳ですよね?その人、まだそんなこと言っているのなら、そこまでの人では?」

しかし、ChatGPTに聞いたら、そのような人は、承認を欲しがっているということだった。

それは、私が感じたことと同じだった。

■ 子供に承認を求める母親たち

子どものころから、母や祖母が、私から承認をもらいたがるので、困っていた。なぜなら、子供は、その承認をどうやって、親や大人に与えたらいいのか、まだ分からないからだ。

最近、神先生という日本人のトランスコーチを教えている先生…ジェフリー・ザイク先生のお弟子さんで、ザイク先生は、ミルトン・エリクソンのお弟子さん…という方に、心理技法を教わっている。

その中に、メタファーを使うことと、相補性が出てきたので、その内容を応用して、先生にハガキをお送りした。

すると、先生の誕生日にハガキが着いたそうで、先生は本当に喜んでいた。

誰だって、お礼や感謝の気持ちなく与え続ける、教え続けることには限界がある。

1)与える人は、誰だって、感謝を受け取るべきだ。

2)その感謝は、どうせなら効果的に表現されるべきだ。

私自身は、なぜか多くのヨガの生徒さんから、感謝を与えられてきたが、一方、なぜかクライミングでは感謝されるというよりは、

 ・俺にクライミングを教えろよ、と要求される

 ・お前が俺のビレイの犠牲になって当然だろ、セカンドして当然だろ、という風に権利として要求されることばかりだった

なぜか、どの男性と出かけても、引率の先生、もしくは、お母さんという扱い。

つまり、相手になる人の自我が子供すぎるのである。

なんでよ…という印象だった。

最も弱いもの…クライミングにおいて女性は弱者です…が、最も大きな負担を強いられることになっており、これは日本の労働市場でも同じだった。

最近、分かったが、これは要するに、クライミング界は

 自己愛性パーソナリティー障害のみなさんばかり

っていうことらしい。つまり、私は父を美化しているばかりに、現実の

 しょうもない男性

にも、父親らしさを求めていたのである。

■ 承認を与える人になる

今回、先生の良い形で感謝の気持ちを受け取ってもらえたみたいで、先生は、このハガキを一生の宝ものにしてくれるそうだ。

これは、私にとって偉大なる精神的成長の一歩である。

写真は、オーストラリアから遊びに来てくれたイタリア人男性の友人。

香港に来たついでに着た、みたいなところで、一緒に阿蘇を訪ねて温泉に入った。

私がオーストラリアに夫を伴って行ったときには、夫ごと家族で歓待してくれた大事な友人である。

その友人が言うには、日本の男性は信じられない!そうである。