2024年1月31日水曜日

【目標設定の仕方】水の球

■水の球をとらえる

今日の水泳面白かった。前に、近所の〇〇スイミングという商業施設で、大学生バイトの男性スイマーに水泳習ったけど、微妙だった… 今の先生は、教え方がすごく上手というか、技術志向で、見せてまねさせるだけでなく、ドリルがすごく細かく、別れている。

私は、技術志向というか、神髄、みたいことをとらえるのは何か?と設定することで、成長していくタイプ。

なので、最初に浮くことを覚えるよう言われたら、ずっと浮くことをやっていて、次はキックで水をとらえる。今日は、プルで、水球をとらえる。

水泳のプルはなぜか水は球なんである…なぜか分からないが、まっすぐではない。玉。

で、今日はいきなり、ラクチンに25mのクロールが泳げた…すごくないです?

これはアイスクライミングで55m相沢大滝が楽勝になった時と同じである。技術に注力している間に、距離や持久力、みたいなものは勝手についてくるんである。

逆に55mを登ってやろうとか考えるから、登れなくなるんである。

目標設定の在り方として、〇〇というルートを落とす、とか、25m泳げる、とか、そういう目標にしてしまうと、趣味や生涯学習としたい場合は、長持ちしない。

もし一生の取り組みにしたいなら、バレエだったら、エレベーションとは何か?とか、ヨガならサマーディとは何か?クライミングなら、価値ある登山とは何か?とか、そういう風に設定しないと、まぁ達成ってすぐ来るんである。

例えば、5.11を登るとか12を登るとか、設定してしまうから、お買い得5.11やお買い得5.12に皆が群がるんである。

そうじゃなくて、伝統的に山ヤっていうのは、◎〇山ってのはどんな人かな?的な感じで、その山の個性を、徒歩、登攀、沢、岩、雪、氷のすべてでとらえようとしていた人のことを言うのである。

いけずーな山もあれば、素直な山もある。八ヶ岳と北アでは性格は全然違う。

ので、山ならどこでも山でしょ、というのは、山を知らない人が言うセリフだ。

九州の山で一番好きなのは、山ではなく渓谷だが自転車で行った大谷渓谷かな。いいところだったなぁ。今行ったら激寒だろうなぁ。

2024年1月29日月曜日

How I got double-binded because I loved my dead brother and saw him in fellow climbers

 Artist dates are like meditation walks, and when they are successful, you begin to notice the little beautiful things. Today I saw this yellow leaf that looked so beautiful. (To many, they are just dead leaves).


Other outcomes I noticed were.


1) The sorrow of my brother's death has not yet healed.


2) My childhood was a childhood that forced me to postpone my innocent childish time.


My mother was a single mother, so at the young age of six, I made the childhood decision to be a little mom for my other siblings, when my mom is away. I had to postpone the joy of being an innocent child.


3) I thought that when I grew up, I could play with my younger brothers and sisters.


4) My brother died when I was 24.


5) I saw my dead brother in the climber who became my partners, 


6)But young climbers are not always people worth trusting as climbers, and the overlap with my dead brother put me in a position...a life-threatening position.


7) I still have a strong attachment to be kind to my (dead) brother.


8) So I am still vulnerable to young climbers. Sometimes they are "climbers who wish to die."


9) When those people ask me to be their partner, it is hard to say no. I am a fairly safe climber with more climbing education than most, so I feel "obligated" to share my knowledge.


10) But if I partner with "them," my life is threatened because of their stupidity.


11) In other words, I am in a double bind.


12) I don't know what to do...




This is what happened to me in climbing.


My climbing trips have been great. For example, I climbed the Kaikoma Kurodo Ridge, with an elevation gain of 2,200 meters, solo in the snow, and I also climbed technical routes like the Amida North Ridge. Although the distance was short, it required 4th class climbing skills, and although it is usually best to use ropes for safety, I was confident that I would never fall, so I was able to climb it freesolo. So much for bragging...


What I noticed in today's artist date;




A) I noticed that one of the stairs in the park is a great exercise for my iliopsoas muscles. During yesterday's swim, I finally found an exact way to move my right knee without pain, and the line between the knee and the iliopsoas muscle is connected.




b) Swimming, especially butterfly style, is important to me. I could not swim at all as a child because I was caught up in an irrational fear and panicked by the water ...I know reason now, my dad pushed me into a water at age 2. Later at the age of 48, I suddenly learned to swim...and I feel connection to my dead younger brother who were medalist in butterfly style. It is as if the skills of my dead brother, who was a competitive swimmer, were captured in me.


If there is a spirit, it must be teaching me how to swim the butterfly...


Other forms of swimming, like breaststroke and freestyle, are like no good... By all accounts, I am drowning more than swimming.... This is just how I was.


C) Pain in my right knee is the main reason I'm holding off on hard climbing. So this is a big step forward for me to get back to normal activity...


D)I think I need an extra dose of protein or BCAA to get back to where I was before I stopped climbing.




2024年1月28日日曜日

【健全な自己愛】”落ちる怖さ”を感じることは強さであり、それを表現することは、男らしさからの自由の証だ

 しばらく【健全な自己愛シリーズ】で行きます☆

■ 怖いほうがいい

”落ちる怖さ”を感じることは強さであり、それを表現することは、男らしさからの自由の証だ!

例えば、落ちる怖さを感じないクライマーがいたら、その人は一流クライマーと言えるでしょうか?

ちょっと考えたら誰でも分かりますが、言えませんよね。

クライミングは、怖さと登れるスキルのバランス感覚を楽しむゲーム。

もし完全に安全だったら、誰も登る人いなくなりますし、もし完全に恐怖がないのであれば、全然、楽しくもないです。

楽しいのは、怖い、と 登れる、のバランスが絶妙だから…。

■ ベストバランスのチャレンジ

コンフォートゾーンに安住しているのは、何のチャレンジをしたことにもならないですが、かといって、大きすぎるチャレンジは、自分の実力を客観視できていない、ということになる。

クライミングで、5.10cくらいで、エイドを出さないといけないとしたら、それはそのルートはまだ早いって意味ですね。特に男性なら…。女性は背が低い場合があるので、男性にとっての5.9は、女性にとっての5.10になります。

まぁ、大事なことは男女差よりも、自分にとってベストバランスの、チャレンジに取り組んでいるってことです。

■男らしさの檻

怖がっていたら、男が廃る!と思っていると適切にリスク認知ができなくなります。

過剰な自己肯定感があると、自分の実力を客観的に位置づけることができず、エイドだらけの登攀で記録を出してしまうということになってしまいます。

男らしさの檻

からでて、自分らしいクライミング…自分のチカラに合ったクライミングをしましょう☆

そのほうが、俺を見て、俺を見てとやるより、楽しいです。

まぁ、そうなってしまう理由は

 お母さんに認めてもらいたかったから

というのは分かるようになりました☆



2024年1月26日金曜日

【水泳】別のフレームワークでとらえる

 ■ 突然、クロールでブレークスルー中

私は、4泳法の中で、普通の人にとっては、最も難しいバタフライが得意で、誰でも泳げるクロールができない…という… 

クライミングの中で、一般クライマーにとっては高嶺の花で登る機会のないアイスが得意で、誰でも登れる人工壁が一番苦手という…

まぁ、似たような状況に陥っています。

しかし、ある先生の教え方で、突然のブレークスルーが来た…。

■ まず浮く そして、推進力を得る

水泳で最も重要な基礎技術は、浮くことです…。

そんなこと、当たり前ですが、子供を教えるときには、誰もそんなことを言わない。竹刀で打って脅して泳がせるという教育法でした。

九州のクライミングの教え方も、ランナウトの恐怖におびえつつ登る、絶対に落ちてはいけないと思って登る、と同じ教え方になっていますよね…

これって、九州の伝統なのかもしれません。教育法としては最も非効率的だと思う。

■ 1回目のブレークスルー 頭とお尻

ふし浮きで、お尻が浮く、という状態を作れるようになってから、急速に泳げるようになりました。

頭が下でお尻が上なんですよ。 これはドルフィンキックの、いるかというドリルで、重心を覚えました。

そもそも溺れる恐怖があったので、頭を下にしても溺れないという、事実確認が必要な感じでした。

■ 2回目のブレークスルー 手で水をつかむ

クロールで、プルを先生に教わりましたが、ほとんど、バタフライのプルと同じで、胸の横に腕が来たら自ら抜いてしまうというエクササイズでした…。

そこで、ほとんどの推進力がプルにあることが分かった。

水をつかむ感触

が捉えられました。

■ 3回目のブレークスルー 足で水をつかむ

今回のブレークスルーは、足で、水をつかむこと。キックです。

ふし浮きで、沈んでくるタイミングでキックを入れると、浮きます。それを行う。

足の役割は、

・バランス

・浮く

・推進力

の3つなので、バランスを崩したときにバランスを整える、浮かなくなった時に浮く、キックして前に進む、の3種を意識してやります。

バランスと浮くの2つは、すぐにできるようになったのですが、キックは一向に進まない日々が3日続きました。ほんと、上から見ている人が見たら、まぁ気の毒なほど進んでいなかったと思いますが…。

広々としたプールに人がいない日に行く、というのが上達の決め手かなぁ… 

3日目で、ついに、前進する推力を得る方法が分かりました。

■ 推力を得るには、足幅を開く

キックは、内またにして、プロペラのように、足の甲を使いますが、足の幅を広げないとつま先同士がぶつかるので、内またにできないのです。

そのことに気が付くまでに3日かかった(笑)。

足幅を広げたら、できました。 ので、まぁ、何ができない原因なのか?は人それぞれなのかもしれませんね。

大事なことは、自分で気が付く=自己信頼感、セルフエフィカシーです。

この足幅を広げる、ということで、クロールの軸は、2軸で、難波歩きのパターンだと分かりました。

なので、当然、入水の腕の位置も、幅がいります。正中線にクロスしてはダメです。

以上で、ここ1日程度で、クロールはかなり泳げるようになりました。スピードは最初から十分なので、あとは、ゆっくり泳ぐために

 ・2ビートと

 ・息継ぎの安定化

を覚えないといけないです。

■ 今回得た、思考のブレークスルー フレームワークを使い分ける

https://www.youtube.com/watch?v=w1d0W9XhlMk&ab_channel=%E9%95%B7%E5%B1%85%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%AB より引用


捉え方に個人差が生じる…


長く教えていると、同じ言葉を使っても、別の意味に捉える、ということが問題になると、スポーツを教えていたとしても、気が付くので、

 個人のとらえ方問題

は大きい。この先生は、2軸か1軸か?という二項対立にとらわれるとそのとらわれに時間がかかってしまいそうです。なので、効率的な学習や習得につながらない。それを辞めて、

 体重移動

という第三の解で教えることにしているそうです。たしかに、私も、ふし浮きで、クロールの重心位置を覚えたことがブレークスルー。

■ 体系化されたものの、体系を理解する(=過去の成功体験が自信の根拠にもなり、足かせにもなる)

バレエを理解したときに、ワガノワ派の理論体系を理解したことが、カルチャーショックでした。

3年目くらいで、すべてを理解したかなぁ… その後は、習得はリラックスしてできて、習熟ステージに進むことができた。その後、私の関心は身体感覚をつかむことに向かい、いわゆる”バレエの上達”とは無関係に、バレエの専門用語でいう、

 「”引き上げ”が一体何なのか?」

に向かいました。

この方向性は、おおむね指導者には非常に受けが良く、海外にレッスンを受けても、即座にクラスに受け入れられました。先生たちは、バレエの神髄をとらえようとしている人は誰でも歓迎なのです。見かけ上のダンスには惑わされないです。

英語では、引き上げは、エレベーションです。丹田に力を入れろ、という日本武道と同じ意味です。

西洋では、丹田と言わず、エレベーション。力を入れる場所ではなく、力を入れた結果、上がった場所に視点があります。

ちなみに同じことを、ヨガでは、クンダリーニエネルギーと言います。

丹田が抜けると、運動系の活動は、すべて、なんか魂の入らない動きになる。

■ 水泳では?

水泳も、ちゃんと浮けば、つまり、正しい重心(頭が下がって腰が浮く)をとらえれば、丹田以外のすべての力を抜くことになるんですが…。つまり、同じことを言っている。

そこが統合できると、なんかスッキリして、ユーレカ!が私の場合は起きますが、最初に、既存の概念…に固執すると、このユーレカ!が起こる時期が遅くなると思います。

例えば、ヨガを習うときにバレエの概念を対照として使うのを最初は辞めるほうが、習得は早いです… ので、とりあえず、その体系を受け入れることが大事だと思う。まぁ、あとで、ヨガで言う◎◎はバレエの××だなぁと気が付いたりします。

■ アナロジーに含まれる無意識の前提

登山やクライミングは、頂点に立つというアナロジーから、人生スキルに転用されることが多いです。

しかし、そのアナロジーが前提にしているのが、頂点です。つまり、頂点というのは、一つしかない。

たぶん、そこが間違っているので、みな人生を間違ってしまうのです。登山の活動から学ぶべき、もっとも重要なアナロジーは別にあります。

登山では、登り10何時間とくるしんでも、ピークに立っているのは、せいぜい20分です。ご褒美はちょっと。その後、登りより難しい下りが待っています。そして、ピークに立つ喜びの量は、いかに登りで苦しんだか?に拠るのです。歩いて登れば、感動ひとしおだけど、ロープウェーで登れば、何もありがたくない。

つまり、プロセスのほう、さらにいえば、プロセスの渦中で苦しみをじっくり味わうことが、喜びを大きくするのです。さらに言えば、苦しみそのものが人生そのもの…です。

だから苦しくなったら、ほんとにちゃんと登山を味わっているなぁ(=人生を味わってるなぁ)を思えば、よろしいのです。

登山におけるピークって、ほんとに何十時間と言う時間をかける山でも、20分いてせいぜいだし、しかも、下りのほうが登りより大変と来ているので、全く意味をなさないものです。

降りるプロセスが難しい…というアナロジーで言えば、大変な時期を良く過ごすほうが難しい。サレンダーのほうが難しい…手放しのほうが難しい…ということが言えます。

成長期を成長して過ごすのはたやすく、老化進行期に老化を遅らせて過ごすほうが難しい…ということです。

老化する体を受け入れることが難しい、と言う風に言えるかもしれません。老化に寄り添うというか、衰えに寄り添うというか…。

■ 捉え方の個人差


さて、私のカウンセラーと言うか、ヨガにかぎらず、指導者としての課題、ですが


 捉え方に個人差が生じる


をしばらくテーマにして過ごそう…と思います。

軸というフレームワークで考えれば、クロールは二軸でしたけど、軸というフレームでとらえずに、

 重心というフレーム

でとらえるほうが、とらえやすい、というのはその通りだと思います。

なんせ、浮く、って水泳の基礎技術の中で最大に重要だと思います。

クライミングも、何か捉え方にコツがある世界であるように思いますが、私には、

 指力強化

の世界観はどうしても合わないんですよねぇ…。自分の指を犠牲に差し出すくらいなら、クライミングそのものを辞めて構わないとすら思います。

大事なことは、冒険の精神、で、未知の領域に対する開放性、オープンネスだと私は思っているんですよね。

日本人って、やったことがないことに対して開放性が非常に小さい。前例前例って言っています。だから、アルパインのルートも、

 「先輩に連れて行ってもらう。そしてそこを復習で後輩を連れていく」

が常套手段になっていて、それでは、

 未知のルートに対する不安(およびリスク)に対処する能力

はつかない。師匠の青ちゃんは、たぶん読図で初めて行く山を未知の状態で登るということは、精神面でルーティンから外れるため怖くてできない、と言うタイプのようでした…

ので、昔の山やさんは、伝統、ということで、先輩から、特定の山域に案内してもらい、それを後輩に伝える、という役目であったのかもしれません。

しかし、真の冒険は、伝統の先にあり、それは、

 未知のルート

ですよ。なので、どんなに小さくてしょぼくても、未知のルートに行くほうが、40mランナウトを登る、より偉大です。

小さいステップで

 未知に出来事に対する心理的耐性

を上げていかないと、どんなに山が大きく、高度になっても、未知の場に行くことに恐怖が抜けず、チャレンジができない体質になってしまいます。

ちなみに私がラオスと台湾に現在そそられていないのは、未知、がどこにもないからです。

他の場所も私のクライミングとのきずな、が確認できないので、どうも興味をそそられないです。私は絆で登ってるクライマーなので。

つまり、それは、クライミングと言う山が終わりを告げているということかもしれず、それならそれでいいかなぁ、と思っています。

なぜなら、人生と言う山を登るのに、クライミングが役立つから登るだけで、クライミングのためには死んでもいい、とは私には全く考えられないからです。

人生で大事なことは、

 人類になんらかの貢献をもたらすこと

で、金でも名誉でもなく、ましてや、犬死、ではないですから…。私の命をアホクライマーに捧げそうになってしまいましたけど…。まさかそこまで分かっていない人だとは、私の常識や前提の範囲では思いもよらなかったですよね…。そこまで愚かな人が存在する、と言う認知が働いていなかった。

そもそも、私を前に押しやる駆動エネルギーは、”探究”であり、競争、では全くありません。

私の登山の記録を見れば、人気の山や高い山に登ろうとした記録はほとんどなく、川俣尾根だの、中津森、だの黒富士、だの、ほとんど誰も知らないような山ばかりです。

クライミングでも同じで、昇仙峡とか、湯川で頑張っており、誰もが知っている有名ルートを落とせた!だからうれしい、とか全くないんですよ…。

ほとんど人が知らないルートを登って満足なのは、

スキル志向&探究志向であり、

他者からの承認志向ではない

からです。






2024年1月18日木曜日

【アダルトチルドレン】ソロ登攀=安きに流れる…AC200%の再演

■クライミングするリスク

岩場に行ったら、そこまでリスクは感じないのですが、ボルダーとかインドアのクライミングジムとか、ランディングが足からなので、やはり、再断裂のリスクを感じます。

ロープなら確保されているので大丈夫と思う。ぶら下がるとき、衝撃は腰に来るのであって、足には来ない。

しかし…岩場に一人で行く、というのは、一応ご法度になっているので、トップロープソロは余裕で出来るんだけどしていません。

そのご法度を解除するかどうか?

で悩んでいます。一人で行っていいなら、別に登れると思います。この葛藤は、クライミングではなく登山の時も同じで、結局、誰も一緒に行く人がいないので、ソロで行っていました。加藤文太郎みたいに、『単独行』にあこがれがあったわけではなく、トップクライマーもみな、岩場に一人、にはならないような配慮をしている。

想定外の何かがあったとき、対応できないからなんだが…。あんまり想定外のことは起こりそうにないけどなぁ…。何があるだろうか?ハチに刺されて気絶するとか?

というわけで、ソロ解除、をどうするか?ここ3年も悩んでいるのである。

というのは、一人で何かをやる、というのは、私にとって常套手段であり、それではアダルトチルドレンを乗り越えた、ということにはならないのではないか?と思うからだ。

自力、ではなく、協力、が私の世界に必要な2文字。

なぜ自力になってしまうか?というと??? 岩場の場合だと、相手のほうが私自身より、リスク管理能力が低いので、協力、ではなく、面倒をしょい込む、ほうになってしまうからである。

つまり、私が無料でガイドする、ってことになってしまうからである。もうロープもって来ないクライマーとか、勘弁って感じ。

グリグリ持っているかどうかも怪しい。

2024年1月17日水曜日

【心理学】優しさでは人は救えない

人に奪われすぎるあなたへ。優しさで苦労しないための注意点

■ あー、分かった。優しさでは相手は変わらない。

2番目のです。私は、高校のころ、同級生の悟君に、大学に行くお金がなさそうだ…と話したら、「あなたは大学に行かなくてはならない人だ。だから僕が働いて大学に行かせてあげる」と言われて、自分の身の振り方を理解した、という経緯があり、友人の優しさに触れて、行動を改めました。

具体的には、自分の運命を嘆くのをやめ、早朝にバイトを入れました。

その経緯があって、優しさが人を変える、ことに、信念があった。

しかし、私のように、追い詰められていない人に、優しさを与えるのはやめなくてはならない。

優しさ、では人は変えられない。

優しさにすがるその人は、依存者です。

2024年1月16日火曜日

【生命を脅かされる】委縮する

■ 理解しがたい子供 = 委縮した子供

一般に自分の子供が自分と似たタイプだと理解しやすく、異なるタイプだと理解しづらいので、不適切養育につながりやすい。

私は、個人的に12歳で大人になったと感じたのですが、当時、母と私が全く似ていないことについて、深く感じ入ったことを覚えています。

■お母さんを一言で言い表すと?

うちのお母さんは、自由奔放な人、でした…。

だって、家のお金を全部パチンコに使ってきたり、夜中に帰ってこないと思ったら、ディスコクイーンになっちゃったり、なんですから…。

母は、長女の私を ”ガマン” ”規律” ”責任” の3点セットで育てたのですが、最もそれらが欠如しているのが、母自身だったような?

大人になったと知覚したのは、そのあまりの価値観の違いに、気が付いたからなんです(笑)。

娘の私には、ガマンを強要し、おねえちゃんでしょ、ガマンしなさい、と諭し、できないと、ダメな子といい、下の兄弟の面倒を見る責任は、姉の私にあるような気分にさせてきた。つまり、責任転嫁。結果、一家の面倒を見てきたのは、私。

一方で、自分はお母さんなのに、子供の食費のために、自分の好きな服を買うのがガマンできない…母。

そんな親、なかなか一般の人は、理解できないですよねぇ…。友達のケイちゃんは、いつも子供の教育や支出を優先して、自分はテキトーな服、着ている。

親も、ちゃんと息抜きしたほうがいいって、私は思うんで、”ママがディスコクイーン”になって帰ってきたことは自慢の種ですが、やっぱり食費は、とっておいてもらわないとねぇ…

バランスってことですが。母は、バランス感覚は、壊れていたと思う。

そんな、こんな母なので、子供の私が、何を恐れて、母の言う、”可愛くない”行動をとったのか?母には、理解できなかったんでしょう…

私は、おとなしくて、ずっと本ばかり読んでいる子供でした。4,5歳のころ、自閉症の診断をもらったことがあるそうですが、それは、たぶん、大好きだったヤンヤンムー君というぬいぐるみ(ライナスの安全毛布)を母にはく奪されたことが、ショックだったのだと思います。

あれかなぁ…。教科書通り育てても、人は魂に傷を持つ、ということかなぁ。

■ 暴力

しっかし、うちのお母さんは、暴力をふるうということすら、ガマンができないのでしたから、私が委縮した子供になったことを理解できないと、うそぶくのは、あまりにもカマトトぶっている…

子供の萎縮は、親の暴力が原因である、とまぁ、簡単に説明がつくわなー。

■ 生命を脅かされる

クライミングにおいては、生命を脅かされるようになってから、登れなくなりました…

そりゃ、心の安全基地がないところに、チャレンジ!はない。

今のところ、人に教える程度はできますが、自分のクライミングの成長は、棚上げです。

2024年1月8日月曜日

【カウンセリングセッション解説】その後フォローアップ

■事例

会社リポート様SNSの件ですが…まるで報告書のようなSNSが、友人関係としては違和感ありありなので、理由を聞いたら、

 備忘録&あわよくば情報収集

ということだった。

SNSの理由は

 自分の生きた証

だそうだ。

■ カウンセラーの価値観ではなく、相談者の価値観を聞く場

・友達を備忘録扱いする人は、私の個人的な価値体系基準によれば、

 単なる失礼な人

なんであるが‥その人は、そのようには当然捉えていないから、やっているんである。

・情報収集を情報収集です、と言わないで情報収集しようとする姿勢についても、私の個人的価値観によれば、

 自分のニーズを正確に言葉にできない大人は大人ではない

ので、私の個人的価値判断では、まぁ取り上げるに足らない、子供っぽい行動だということになる。が、本人は、そのことに気が付かないか、もしくは、別の解釈をしているから、そういう行動を行うんである。

 ちゃっかりしている、もしくは ヒトの善意にすがる行為

として、私個人の価値の体形の中にはそのような行為は全く含まれない。

■ 友達に業務報告しますか? → 不適切行動の指摘

問題は、この奇怪な行動に本人が気が付かないことで、情報がほしいのなら、自分から伊勢神宮グループを見ればいいわけで、行動が適切ではない。適切ではないというのは、問題解決に合理的ではない。

■ 私のカウンセラーとしての成長

ところで、私のカウンセリングテーマは、

 助けてが言える人を作る

である可能性がある…のは、梯谷先生の5つの傷コースで、私の最大の傷が、”助けて”が言えない親のために、子供が犠牲になった、ということかもしれないからだ。

私の母は、

1)欲望を適切に抑えきれず、好き放題にしてしまう 例:高額な買い物

2)子供の養育費に必要な大事な食費をギャンブルのパチンコ(あるいは高額な衣類、バッグ17万とか…)に全額使い果たしてしまう… 泣きながら帰宅。それを娘に介抱される。

3)ほんとはそんな自分を助けてほしかった…

このこと自体を

4)具体的な言葉にして、行政に伝えることができなかった(と私は大学生になって思った…)

5)その理由としては、元・富裕層としての矜持があり、お金下さい、が言えない。

これらが理由ではないか?と思っているためだ。

■ 助けてが言えない人= 親が過干渉で、困る前に手助けされてきた人

原因は、親の過干渉、が濃厚で、自ら助けてほしいと言わなくても、子供時代に、周囲が躓きそうな石は、すべて取り除いてくれる環境で育ったことによると思う。

過干渉に育てられた人でも、成人すると、誰も石を取り除いてくれない。社会は石だらけであるから、些細なことで挫折感を得る。例えば、地下鉄の駅が新しくなっていて、使ったことがない、とか。

シングルマザーで、子供を3人育てるというチャレンジが誰にとっても大きいことは認めるが…。だからと言って、長女に子育て丸投げはできない。兄弟の進学費用負担をさせよう、も間違っている。

■人はいろいろな理由=成育歴で身に着けた自動反応…により、固定的行動をとる。

助けてほしいとき、助けてと言わずにアッピールする、と行動様式を取る人もいる。受動攻撃にもどこか似ている。

 助けてくださいが言えない人を言えるように気づかせる

ことが私のカウンセラー起業においては、最重要ポイントではないか?と…その可能性はある。成育歴が示しているかもしれない。

余談だが、私が母を見かね、ヤングケアラーとして学校に母の異常事態を伝えたとき…学校(や周囲の大人)の対応は、もっともまずい、

 母に直接聞く

でした。そんなの、母は、

 子供の寝言です

と言うに、きまっているじゃないですかね?大人はごまかしの達人なんで。 実際、クライエントが今やっていることは、言い逃れだ。

実際の母は、当時で、すでに多重債務者だった。その時、ちゃんとしたソーシャルワーカーがいれば、母を救えたのかもしれません。母よりもっと大事なのは、子供たちです。

当時、社会の側の母子家庭へのサポートは甘く、あるいはヤングケアラーだった子供へのサポートや、ヤングケアラー自体の認知も皆無だった…

ので、結局、何が起こったか?というと…

1)十分事態を理解している長女は、まだ高校生なのに自活を始め、進学で完全に親子の縁を切った

2)中間子は同様に高校で自活をスタートするも親元から通学通勤した結果、大量の靴とブランド衣類を残し、24歳で早世。

3)末子は事態を理解していなかったため、普通に進学・親元で就職したあと、親からクレカを使い込まれ、将来を悲嘆して自殺未遂

という子育て結果に終わりました。

長女がSOSを社会に向けて発信した時点で、社会が救っていれば、別の結果になったと思われ、私の中では、それがもっとも大きな、他者に転用できる

挫折経験

であるように思います。もちろん、小・中で成績が1,2番だった生徒がいきなり486位/500人中になったことはショックでしたが、そんな小さな挫折にかまけている暇がない、めちゃ困難な高校時代・大学時代でした…

2024年1月4日木曜日

クライエントとして何を言ってほしいのか?

■ 訴え:「何をしてもうまく行かないんです」

という訴えに対する典型的なカウンセラー反応は…

たぶん「本当に全部ですか?」とか

「具体的に何がうまく行かないのですか?」とか

になってしまい、言われた側は、

”そやけど…(そんな意味じゃなくて…)”みたいな気持ちになって終わってしまい、

”なんかなー(話して損した…)”という気持ちになってしまう。

そこがカウンセリングを受けていて疑問で、

”このカウンセリングで、私はどこに向かうんだろう??? 結局、今いるとこ???”

みたいな気持ちになってしまうんですよね…

その理由が、今、分かった。そういう風に言われたいんじゃなくて、

「そうか、何にもうまく行っていない訳じゃないけど、そう感じるのは、私がやりたいことを持っているからなんだ!」

とか

「たしかにやりたいことをやってはいるんだけど、自分の能力の相応にはなっていないから、これじゃだめだと思わされているんだー」

と思いたいんだろうなぁ…。

そうなると、例えば、クライミングでは、

「確かにリハビリはできているんだけど、リハビリだけでは…、と思うのは、まだクライミングの伸びしろを取り切っていないからなんだ!」とか

「確かにクライマーだけど、本来トラベリングクライマーができるのに、ローカル岩場でトップロープ祭りしていたら、何の才能を発揮したことにもなっていないんですよねっ!」

って感じかな!! 

今日はいやされました☆