2023年10月31日火曜日

【心理学】トラウマの言語的インディケーター

■ 知性の低さが敵

私のトラウマの”言語的インディケーター”は、相手の

 男性によって殺される

かな。

1回目のトラウマ

父の無知により、プールに突き落とされる。

2回目のトラウマ

インドアジムで5.11が登れるから、北岳バットレス四尾根

3回目のトラウマ

ビレイヤーにキャッチしてもらえず、グランドフォールする。頭を7針縫う。相方の無知により、クライミングで死と隣り合わせになる

4回目のトラウマ

白亜スラブ。ちゃんと登れていないリードにしりぬぐいクライミングを行う。

■ 殺される

が、このトラウマに関する、「最大の恐怖」「最悪の結末」です。しかも、

 無駄な死。

相手のエゴイズムが起因で殺されることになっている。しかも、相手は、

 僕のご飯を作ることが女性である母の幸せ

と思っているので、相手を殺したとしても、それが相手の本望なのだ、と考えている。

つまり、私がクライミングで死んだとしても、俺のために死するのが彼女の幸せなんだ、と考えているってことです…。ひえ~って感じ。

本人はそう思っていないと主張し、ただ知らなかっただけだ、と言うでしょうが、行動としてはそういうことになっている。

行動が発信しているメッセージとしては、人の命を徹底的に軽んじることになっている。しかも、反省する気配がない。

■ これは、親に捨てられた子、ということの意味なのか?

父親はDV男だったのでむしろいないほうがいいって感じでしたが…

クライミングを分かっていないクライマー男子も、むしろいないほうが平和かもしれん。

■ 排除、同一化、もつれ

どこにどう排除、同一化、もつれ、が入っているのか?そこが分からない。

弟の死=排除

弟の役目を私が担う?=同一化

なのかなぁ…。




2023年10月29日日曜日

【心理学】クライミングを通じて自己探求するプロセス

■ 要約

以下の文章は、クライミングを通じて他の人々との関係についての悩みや、自己探求のプロセスについて述べられています。

筆者はクライミング愛好者で、子供時代の楽しさを再体験しようとしていた。しかし、逆に、クライミング仲間たちが自分を支えとして求めているように感じている。

筆者は様々な関係で他人の感情や要求に応じ、クライマーたちの自己中心的な側面に苦しんでいる。

具体的な事例が挙げられ、筆者が他人を助けたり、相手の要求に応じたりする一方で、自分の成果を伝えると、相手が不機嫌になることがあります。

これらの関係が、過去の家庭環境や成人後のインナーチャイルド(内的子供)と関連がある可能性を検討しています。

自分の成功に制約を感じていることが悩みの中心です。筆者は自分中心の視点を育てる方法についてのアドバイスを求めています。

■ 以下、本文

私は筋金入りのACなのですが、なんだか趣味のクライミングで、なぜか人を癒すことばかりを再度要求されているような気がし始めました。

私は、大人になって、失われた子供時代を、再演するために、クライミングをすることになったと思っていたのですが、子供時代を十分満喫する前に、クライミングでは、他の人が自分のインナーチャイルドの癒しを私に求めてきているのでは?って感じです。

理論的にそういうことは、あるのでしょうか?私は自分のインチャを癒し、自分らしくありたいのですが…。

以下は事例です。

1)怯えたチャイルド

クライミングの師匠と海外に行ったら、飛行機が遅れ、夜中になってしまい、今日は宿泊先にたどり着けないというので、師匠が慌て始め、怯えて収拾がつかない様子になった。弟子の私が機転を利かせて、宿泊先を見つけてきてあげて丸く収まったが、クライミングでは、向こう見ず自慢の師匠が、低体温症で死ぬこともない、町の中で、夜宿泊できない程度のストレスにあまりに弱いので驚いた。

私が彼の怯えたチャイルドに対し、”助けてくれる大人”として登場したのか?

2)拗ねたチャイルド

クライミングの師匠がずっと自分の話ばかりする。当事者でなければ、聞いても分からないような過去の栄光の話。普通は会話は変わりバンコなので、私が自分の話をしようとすると、さえぎって話し続ける。この師匠から、無条件に愛してほしいと言われた。そんな無理を普通は人に要求しないので、かなり驚いた。これはどういう現象なのか?

3)毒恥でいっぱいのチャイルド

社内LANの電源を入れる当番で大失敗したそう。そのことを盾にとって、すべてIT関係で作業が必要なことは、私に当然のようにふってきて、やってあげないと怒り始める。しかも、怒りの内容がとても的外れ。例えば、チケットを取るのに、ローソンは取れて、セブンは取れないなどがあると、そんなのおかしいだろ!とコンビニ店員に食って掛かる。そして、その行為の同意を私に求める。私が、それは違うよ、なぜなら、と合理的に説明してやると、むっつりして一日、口をきかない。昔、昼行燈と周囲に揶揄されて、頭が悪い奴だとバカにされて育ったそうだ。しかし、今は誰もそんなことは自分で言わない限り思いもつかない。すでに定年退職後だし、子供も立派に育っている大の大人だ。私がいなくなると、娘さんが私の代わりに世話を焼く羽目になっている。

4)寂しいチャイルド

一人で家族から離れて、山の中の別荘で暮らしており、普通に寂しいのだろう…と思い、一緒にクライミングしませんかと誘ってあげた。互いに暇なので、毎週〇曜日はクライミングね!という安定的な関係になったところで、新人の若い男性クライマーを連れて行くと、怒る。その連れて行ったクライマーではなく、私に怒りをぶつける。

その様子が、弟や妹が生まれた長子みたいな感じで、根拠なく、私を独占したがる。ので機嫌を取るのに、私のほうが相手の感情の手当てをしなくてはならず、いろいろと大変だった。一般的にクライミングは、新人を教えるのには、安全のためにどうしても2名は経験者が必要なので、なんで、経験が浅いクライマーを私が連れてきたくらいで怒るのか、理解できなかった。特にその人は登山学校で校長先生をしていたと私に自慢するほどだったので…。

もう一人は夫。私がクライミングやヨガの先生として知名になると私の活動の邪魔をする。以前は仕事がその地位にあったが、仕事の時は拗ねていなかった。通訳の仕事の時は、夫は妨害してきた。また、拗ねた場合は、部屋の中に引きこもる。

5)悲しいチャイルド

これは、自分の中に、弟を24歳の若さで失いその前の8年間会っていなかったので、悲しいチャイルドがいるのを感じます…

6)怒ったチャイルド

クライミングで相方に殺されそうになったので、怒ったチャイルドを出すのは良いことのような気がします。相手に亡くなった弟を投影していたので、怒れなかったのかもしれません。

7)見捨てられチャイルド

師匠と海外に遠征していたら、現地のクライマーが、師匠でなく、私を別の岩場に誘う。(多分、私が行くと言えば師匠がやむを得ず動くと思っている)私が相手に良い返事をすると、「お前とはもう登らない」などと言って師匠が脅しをかけてくる。現地のクライマーは、二人ともに対して好意で言っているのにもかかわらず、その好意が自分ではなく私に向けられたと勘違いし、すぐに私を捨てる捨てると連発する。

8)ワンダーチャイルド

岩場で登っていると現地の人がフルネームで呼んできてくれる有名人。楽しそう。

しかし、不思議なのは、現地の雑誌社の取材を断ること。なんで受けないの?と聞くと、おれなんか…という返事だった。それで、私に背中を押してほしいのかと思い、次は受けたほうがいいよと返事をしておいた。

後日談で、非常に難しくてチャレンジする勇気が出なかったものを登ってきたそうで、報告を聞いてあげた。

しかし、逆に私自身が成果を師匠に話すと機嫌が異様に悪くなる。なぜ?

このことで、”親よりも成功するな”の禁止令を私に植え付けようとしているような気がする。

全体として、クライミングパートナーではなく、心理カウンセラーか、親代わりとして採用されたような気がする。

それは、母に子供のころ、母の心理カウンセラー役をさせられていたためではないだろうか?というのが、私の疑問です。

自分のインチャについては、なかなか深堀りができないのは、相手のインチャばかりが良く見えてきて、自分のインチャについては後回しになってしまうという悪しきアダルトチルドレンの習慣なのではないだろうか?

どうしたら、これを自分中心にできのだろうか?というのがもっぱら悩みです。

悩みの中心は、”親よりも成功してはいけない”が私に禁止令としてあるような気がする、ってことなのですが、それは子供時代にはなかったインチャが、成人後にできることもあるのか?と思っています。


2023年10月26日木曜日

【心理学】クライミングと心理学の関係

 クライマーが心理学を勉強する意義…というか私の個人的な意図は、

自分を殺しそうになった相手をいかにして許すか?

です。

具体的に言えば、白亜スラブ。私はあの登攀で、

 自己効力感(セルフエフィカシー)

を失いました。

それまで、いろいろな人に、クライミングは危険だ、危険だ、と盲目的に言われても、具体的にリスクに対応する能力が自分には備わっているから、大丈夫だ、と感じてきました。

そして、それは実際、事実であり、

雪山初心者で登っていた八ヶ岳権現岳や積雪期の金峰山からスタートし、何とか自力で沢の師匠を見つけ、初級の沢であればリードで行けるようになった沢登り、そして、3年で海外へ単独で登攀に行くようになったフリークライミングで、具体的な登攀としては、ラオスに一人で生き楽しんで登れたこと、台湾の岩場に一人で行き、楽しんで登れたこと、などに結実しました。すべて、あぶない危ないの大合唱を、自分自身でリスクを分析しながら、進み、成功を収めてきました。

ところが、その登攀の傍ら、日ごろ、同じ方向を向いて互いの登攀に協力し合っている、助け合っている、と私が感じてきた…いや信頼すらしていたクライマーの、きわどいルール違反…具体的には、”敗退ロープなし”で出かけるという行為の危うさを事前に予期し、自分をリスクから守ることができなかったのです。

ほんの小さな、うっかり…から、です。この「敗退なしで!」という言葉の傲慢さ、付けあがり、無知、などのもろもろの悪徳、を見抜くことができなかったのです…。

私はクライミングの危険から、身を守れていない… その事実が自分の目の前に突き出されたのでした。

この敗退なしで!をスルーしてしまった理由は、私の中にも、まぁ大丈夫だろう、とか、まぁいつも敗退しないで済んでいるからなぁ…という甘さがありました。もしかしたら、無知や傲慢も自分の中に持っている資質なのかもしれません。心理学ではそう考えることが多いからです。

この資質を自分が乗り越えられなければ、私は今後、クライミングで起こる危険に巻き込まれ、一つしかない自分の命を守っていくことができないでしょう…

あの移民社会のアメリカでの、様々なトラブルからさえも、自分を守ることができたのに、日本の田舎で、のんびりとした環境で行われる一見問題ないクライミングでのリスクから、身を守れないとは…。

■言い訳

言い訳は、若くして亡くなった弟に、自分より年が若いクライマーを重ねてしまっていた、ということが考えられるかもしれません。

しかし、弟には、逆に、遠慮なくずげずげと指摘ができるのが、姉の特権かもしれません。

私は場面緘黙、と言われる状態があの時ありました。そうあの岩場あの場所で、です。

その場面緘黙は、「やっぱロープは60だね!」と言われたときに、は?と言えなかったことです。

25mと35mのピッチをつないでしまったミスを、60mロープが救えるか?というと救えません。25+35は、ぴったり60mだからです。それでは、セカンドを上げるための支点を作る分のロープが足りません。

■ 秘策を使った

私はあの時、ビレイ中にロープいっぱいと叫んでも、まだぐいぐいとロープが引かれるので、この終了点政策文程度のロープが足りない場合の秘策として師匠から教わった、ビレイヤーが少し上がってやる、という技を使いました。

この”技”は、教科書には載っていません。一般クライマーは、もちろん教わっていません。

これは、私がクライミングで身を守れるように、と親心から教えられていた技です。

私は所定のビレイ位置から、3mほど上がったのですが、それでもロープがぐいぐい引かれつづけるので、上がるのを辞めました。なぜなら、ほんの少し足りない程度で使う技であり、ずっとやり続けると、これはコンティニュアス(通常コンテと略す)技になってしまうからです。

コンテはトップクライマーや、水平面でのビレイなどのリスクが少ないときに行うもので、通常はスタカットが普通です。そこから離れることは、一人が落ちれば、もう一人も巻き込まれることを意味します。

それで、終了点を作るには十分であろうという長さをクライマーに提供したのちは、ロープを出すのはやめました。

その結果、一つの支点に2名がぶら下がることになりました…。この支点は、強度が十分ないカットアンカーと呼ばれる支点で、抜けなくてほんとに良かったです。

クライマーは、1点しかないボルトに2名がぶら下がってしまったというリスクには、全く無頓着に、

 自分はほとんどちゃんと立派にリードできた、

と結論付けたようでした。このことにもかなりのショックを受けました。なぜなら、普通の理性で考えると、成功どころか、トンデモクライミングと言っていい内容のクライミングだからです。

このクライミングがトンデモと分からないなら、何がトンデモなんだろうか?というレベル感なのです。しかし、これが成功体験…。

このクライマーが、クライミングする意味、意義は、いったいどこにあるのか?ということがいやおうなしにも透けて見えてしまいます。

その後、このクライマーには、自省や反省の様子は見られず、相変わらずのクライミングを続けているようでした。

従って、私だけがこのクライミングから教訓を得た、ということになります。

このことは私に何か深いところでの傷つきをもたらしました…。

この深い傷つきから、立ち直るのに、コロナ禍の期間を加えて、だいぶかかっています。

■ 鬱へ

一般に、人が危険な行動に駆り立てられるのは、背後に死への希求がある、と言われています。

私は生い立ちが、一般の子供よりも、背負うものがとても大きかったので、幼少期、7歳から希死念慮がありました。

その希死念慮が復活したのは、もとより、この白亜スラブのクライミングにより、父親に赤ん坊の時にプールに落とされたという幼少期のトラウマもフラッシュバックするようになりました。

これは…という事態です。子供のころのトラウマに関しては、水を避けて避けまくるという行動で、回避してきたみたいです。

しかし、なんで、これが復活してきたのか?

人生が私に教えようとしていることは何なのだろうか?ということが私にはまだ見えていません。

クライミングは、山梨時代に余暇を活用して始めただけで、私にとっては特に思い入れがある活動ではありませんが、活動に命がかかるために、安全に楽しみたいという思いから、多くのリソースを割いています。

具体的には、山岳総合センターにてリーダー講習に出たり、都岳連の岩講習に行ったり、クライミングガイドについてクライミングを習得したりです。吉田和正さんというすでに個人になっていますがトップクライマーと言える方から、トラッドを教わったりしました。

しかし、このような努力が水泡と化した、一瞬のあやまち… 

敗退なしで!

を見逃したこと… これは、パラシュートなしでスカイダイビングに行くってくらいの危険行為です。

ギリギリボーイズと言われるトップクライマー集団が日本にはいますが、かれらだって敗退ロープなしなんてやっていません。

そのトンデモな行為を見逃してしまった私自身への深い深い失望…

絶望と言っていいかもしれません…

が、今期の希死念慮の再発ということではないか?と現時点では自己判断しています。

さて、分子栄養学以外にどうやってここから回復していけばいいでしょうか?

2023年10月25日水曜日

【心理学】毒親タイプの山岳会や先輩もいる

■なぜか失敗不幸になる選択をする人の3パターン。幸せと成功を自ら遠ざけしまう人とは?なぜうまくいかないのか?

■ 私がクライミングに上達すると、なぜかショックを受ける先輩たち

クライミングのパートナーシップって親との関係の反映みたいな面がありますね。

そういえば、私のクライミングが上達し、先輩たちに登れなかった課題が私が登れる、ということで、先輩が怒るってことがあったなぁ…。怒らないまでも、先輩の立場が、えらく悪くなるというか…。あの〇〇酸にでも登れるのが登れないのーみたいなね。

そういえば、私がスラブを簡単に登ってしまったので、悔しくなった若い奴もいた…。夜になるまでビレイに突き合わされたよなぁ…。

それ以外に、私がラオスで楽しく登ると、師匠がガッカリして元気がなくなる…

とか、

アイスで彼女が登れるようになったのは俺の手柄だと言いたいために、いきなり大滝をリードするように勧められるとか…。

しかし、一般の、つまり親との関係ではない人間関係でも、親との再演がありうるという勉強になった。

これは、先生との関係の再演かもしれません。私は学業ができることで、先生の手柄になる子供だったので。

考えてみると、ほとんどの師匠や先輩が、毒親タイプだなー。

1)自分が成功してしまうと親の育児が正解だったことにされてしまう。親の手柄=自分になっている

自分のためになることでもあるんだけれど、なんだか親の夢をかなえるようなことになっている=自分が利用されていることが、なんとなくうすうす分かる。

本当の自分の人生を生きさせてもらっていない=自分で自分の幸せをつぶすことで親を苦しめ、親に復讐する

2)子供が楽しそうにしていると、あんたは気楽でいいわね、とか嫌味を言う親だった

子供が楽しいと不機嫌になる親 = 弟子が上達すると不機嫌になる師匠

3)お土産を買っていかないといけない気分になる 

 =私だけ楽しんでごめんなさい

4)かわいそうポジションで相手をコントロールする癖がある

ママはかわいそうだから〇〇してもらう権利があるなど…。

クライミングでもいます。俺は子供が6人もいるんだから、合宿の食事費用をほかの人に負担させようとか、食担して差額で儲けようとか。

あるいは、俺は子供が6人もいるんだから、かわいそうでしょう、だから登山者の女性と浮気してもいい…とか…。女性の母性本能に付け込もうとしている。

不幸でいることで相手をコントロールできると考える男性は、成功体験を妻で持っている気がします。

■ 私が全く思いついていなかったのは、

1)の親への復讐、親を否定したい、と言う気持ちです。

もし、私が楽しく世界クライミングにデビューしてしまったら… もし私が5.12を楽々と登れるようになってしまったら… 一体だれが都合が悪いんだろうか?

というか、私の不安は、

 だから、クライミングを教えた俺たちに良くしろ… と恩を100倍返しくらいに返礼を求められること

かもしれません。

なんせ、年配の人たちって、昔は先輩の荷物担ぎをしたそうです。ただ働きですね。

それで売った恩を、後輩が返してくれることを望んでいるみたいなんですよね…。特に昔の山岳会出身の人は。

しかし、現代の登山者の立場から言えば、山岳会に売られた恩、先輩に売られた恩、ってそのとき、その現場ですでにお返ししていますよね…。

だから、結局、その先輩なり、会なりがもっている、

 若い奴ら、恩返ししろよ

って思いは、結構、若い人の目には不当だったりします。ところが、年配者は、売った恩を返してもらっていないと思っているから、不満たらたらです。

という循環に、確実に山岳会関係はあると思います。

■ 客観的にみると

とはいっても、そもそも、山岳会に 

 技術

なるものは、全く残っていません…ので、売る価値がない恩を売っている、っていうのが、実情。

グリグリが発売されてン十年って時代に、ATCでグリップビレイを教えているって、時代錯誤も、トウが立っている…(汗)

結局、それを何とかして売れる相手を見つけよう…と必死なのが、山岳会かもしれません。

良い機会なので、若いクライマーは自立しましょう☆

2023年10月24日火曜日

【仏教】盗人猛々しい人々… 自分は努力をしないで結果だけを得たがる

■ 仏教徒いい子ぶりっこ&スピいい子ぶりっこ

毎日仏教を聞いている。

仏教でも、微妙に、分かったような、分かっていないような、”いい子ぶりっこ”の人もいる。

例えば、”宿命は変えられないけど運命は変えられる”、とか言う。すると、先生もめんどくさいのか、そこを直さない。 お釈迦様は、”運命も宿命もないよ”と言っているんだけど…?

因縁果の法則は、因と縁があれば、結果が出るというだけで、運命も宿命も、どっちもかんけーないよと言っている。

何度、同じ話を言って聞かせても、こういう風に誤解して理解している人はいる。

スピぶりっ子も最近はなりを潜めてきたと思う…。スピでは結果が出ないからではないだろうか…? 例えば、ポジティブに気分良くしているだけで、結果が出る!みたいなの…。実際は、努力をしないと結果は出ない。まぁ、因縁果の法則からして当然なんだが。

■ 自分の現在の行動が自分の未来を創る。

因とはそういうことで、結局、投資の勉強をしない人が投資で良い成績を収めるはずもなく、勉強しない人が、勉強した人を、ずるいと言って責めるのはおかしいと私は思うんだが…。

私の過去は、かなりこれで、勉強して努力して良い成績をとっている私が、そうでない人たち…例、弟、妹、…に、「お姉ちゃんだけ、ずるい」とか、「できる人なんだから、こっちにも成果を渡せ!」と言ってくる、と言う印象だ。それで、本来はしなくていい家事やら、親の代理やら、果ては生活費の援助までさせられる。

■ 盗人猛々しい人

クライミングでも同じことが起きたような気がする。

都岳連の岩講習に山梨から、はるばる出かけて行ってマルチのセカンドでロープがアップされないときにどうするか?と言うようなことを学んだのは、私であり、相方ではない。
したがって、白亜スラブのようなトンデモ登攀で、ちゃんと戻ってこれたのは私のおかげで合って、相方は失敗を反省するべきだ。成功体験にしてしまっているが。

今の現状だと、良い成果を得ているのは相方みたいな感じで、私は納得いかない…。

こういう時、お釈迦様の教えだと、そういう人は自分で悪因を作っているので、じきに結果をこうむることになるそうです。

悪果を結ぶ前に、反省してもらいたいものだ。ほんとに。 

■ 悪い縁

クライミングをしたいという因があったとしても、悪い縁が来たら、断る、というのは大事なことだと思う。

死んでしまったら元も子もない。

悪い縁を断ち切ってよかった、と思うのが健全な精神かな。

私が撒いた悪い縁は、欲や愛着、愛情に負けたということでしょう… 情愛が深すぎる、という因を断つ訓練は要りますね。

参考:
https://www.youtube.com/watch?v=5R4jHxXW7co

2023年10月17日火曜日

【心理学】このところのクライミングのうまく行かなさ…について

■ 弟に会いたい

最近、心理学の勉強をして、いろいろと分かってきたのですが…

  クライミングのような危険な活動をしていること=弟に会いたい

ということかもしれん…。

試しに言ってみたら、かなり心に響いた。というか、泣けてきた。

ああ、弟に会いたい…

というか、まさか自分が弟に会いたがっているなんて、全くそういうこととは気が付かなかったんだが…年下の男性には超・弱かったよなぁ… 

それでクライミングを安全に行うためには必要とされる、”正常な判断力”を鈍らせていたのか。(例:白亜スラブに行ってしまう)

■ 弟の死へのグリーフ?

弟の死へのグリーフが済んでいない…が、いまさらどうやって解消しようというのか? 

亡くなったのはもう24年も前のこと。死が納得できない、というのは、突然死では良くあることのようだ。

死んだ人の死の悲しみから立ち直れない人の映画をたくさん見るとか、涙を流すことで癒されるのだろうか?

■ 父に愛されたかった

そして、次が、”私だって父に愛されたかった”、だ。

これは、うすうす気が付いていた。

気が付いたきっかけは、ある山岳会の友人のFB投稿。

海外赴任中と思われる男性が、まだ4、5歳の娘を連れて、高峰に登山するんだが、一回も妻が出てこない…娘の溺愛ぶりがほほえましいが、いったいどうして妻が出てこないのか?男親はこんなにも娘にぞっこんになるものなのか…と驚いた。

と同時に、もし男性がこんなにも娘に入れ込むのなら、なぜ我が父は、私と弟、妹の3人を捨てたのだろうか?と思った。

私は父の膝で遊んだ覚えがあるので、兄弟全員を嫌いになった責任は、私にあるのか?

子供が嫌いになった=私が嫌いになった、のだろうか?と思ったりもしたが、それは、子供が良く行う自動思考だろう…

■ 真実は父もただお子様だった

父が私たち兄弟を捨てた真実が知りたいと思い、それがクライミングと言う活動につながった…クライミングは、男性観察のチャンス、と言う感じだからだ。

結論的には、単純に父が人として成長できていなかったから…ということがクライマーの観察結果より得られた(笑)。

子供を愛すには、親は父親でも母親でも、自分を後回しにしなくてはならず、それができない男性は多い。その場合、妻が夫の母親役に就任することになる。

妻に母親役を求める男性は、大体は、自宅に父親がいないか、いても影が薄いか、で、父親が母親を愛しいたわる姿を見たことがない子供であることが多い。

つまるところ、女性の愛し方を父親を通じて学ぶ機会がなく、女性のロールモデルが母親だけ、となると、母親像=女性像になってしまう、ということのようだ。

■ 父親との関係=社会との関係、

父親との関係は、社会との関係なので、これは…というので、何とかしたい。

と最近以上の二つが自分の中にあると理解した。

しかし、いまさら、父親を求めても仕方がないんだが…。

子供時代を振り返ると、父親がいないことを苦にした覚えはあまりなく、父を思い出すことはなく、むしろ、独立心旺盛、とポジティブに判断されていた。

今は独立心旺盛というより、男性に対して当然要求すべきことが要求できない、ということになっているかも? 自立系武闘派女子みたいな感じ。

私の夫が私が甘えられる唯一の存在と言う感じだったが、これがデイビッドとの関係だたら、どうだったのだろうか…と最近良く思う。

昔の彼氏なんだが…彼は、俺が俺が、という日本男性にある自己顕示を抱えていなかったと思うんだよなぁ…ただデイビッドは、父親との関係に問題を抱えていたけど…なんせ父親がAT&Tの重役というのは、超えるには高すぎるハードルって感じだった。

もしデイビッドと結婚していたとしても、クライミングに出会ったのだろうか?彼と彼の家族と出かけたレイクタホは楽しかった。ジョージが私にとっては義理の父ということになりそうだったのに、良い家族をゲットし損ねた感はある…ジュディも良い人だったし。
まだ大阪にいたころ、ジュディとジョージが訪ねてきたんだよなぁ… もうデイビッドとは別れて1年くらいだったのに…。

結婚とは家族を得ることである、と今更ながらに感じる。

実の親で満たされなかった親からの愛情をもらうチャンスをゲットし損ねたのだ、あの時。

2023年10月11日水曜日

【自己理解】自分を見つめて3年…やっとわかってきた私に何が起こったのか?

 ■ 子供時代の再演

アダルトチルドレンである (クラウディア・ブラック、水澤)

=境界線がおかしい(200%)である =責任取りすぎる

 + 仕事の喪失 (2018年)

 + 生きがいの喪失 (2018)

 + クライミングの師匠の喪失(2018)

 のトリプルパンチ

= 夫の無理解による子供時代の再演 = 孤独な闘い 

= 弱体化 (2019年)

 =それに便乗しようという人が出る(相方。クライミングにおける都合が良い人あつかい)

+ 弟を早くに亡くして悲嘆が済んでいない(グリーフケア:坂口幸弘)

= 都合が良い人扱いに反発するエネルギーが低下

 =自分の境界線(ビレイは変わりばんこ)を主張しても受け入れられない

= 白亜スラブ

 + トラウマのフラッシュバック(被虐の記憶の復活、複雑性PTSD)

=回避行動

+ 精神の身体化 =クライミングをしなくても良いようにケガを自ら作り出す(パートナーとして魅力を減じることで相手が勝手に避けてくれることを期待する)

= クライミングをしなくてよくなる 

= 身体の安全性確保 (2020~2023)

= 精神的問題に集中 (癒し)(2020~)

=燃え尽き症候群 (典型的結末) (2022)

= リハビリ

今ここ。2023

■ クライミングをしたいのか?したくないのか?

そこがそもそも問題なのですが、目的論の立場から言えば、

 したくないから、問題を作っている

と言える。ので、本音はしたくないんではないか?と思っています。

まぁ誰だって、マジ殺されそうなクライミングはしたくないよなぁ。

クライミングにおける、怖いっていうのは、幻想の怖い、で、本当の怖い、ではないことは誰だって知っている。

しかし、このプロセスで、一般的な普通を目指している男性クライマーが、いかにクライミングに無理解であるか?が分かった。

私が本当にしたかったのは、この情報収集なのではないだろうか?

■ とすると

何を実現しようとしているのだろうか?ということが次なる問いだが、甲府にいる頃から長く、

 クライミングを安全に行うための考え方を語ろう

と何度もトライして挫折中。

なので、これは済ませてしまわなくてはならない問題だろう。

精神の健全性をも犠牲にして、挑んできた戦い、って感じだからだ。

■ 正しい境界線を引くのに、弟の死が邪魔を

弟を亡くした姉が、一般的に、年下の男性に甘くなるのは、想定できる弱点だ。

だから、弟を亡くした女性に付け込んでいいか?というと?

まぁ、違うだろう…。そのような人間は唾棄すべき人だろう。

■ 父に落とされたトラウマのフラッシュバック

私は子供のころ、理由が分からないが水がとても怖くて、母に8歳までシャンプーしてもらっていたのですが…あれは父にプールに赤ん坊のころに落とされたのだと、なんとクライミングしてフラッシュバックが発生するようになり、理解…

父は全く何も子供を理解せず、ただ好奇心…赤ちゃんは泳ぎ方を知っているらしい…ほんとかな?…から、赤ん坊をプールに突き落とし、私が溺死しかけた、ということがフラッシュバックで分かった。

ので、すぐに水泳教室に通い始め、トラウマは暴露療法で治し始めたんだが…

いや~ 相方のA木さんの顔が、にやにやしている父の笑顔を水面越しに眺めていた私の脳裏に焼き付いているのとダブります…

ちなみに水泳は、なんとバタフライが得意で、やってみたらその辺の人より上手だった…(汗)。

子供って今より運動神経が良いはずなので、なぜ子供時代にできなかったか?というと、結局、心理的問題以外の原因が考えられない…

きっとクライミングも同じでしょう。

■ 無知に殺される

父とアラーキー、どういう共通点か?というと

 無知に殺される

と言う点です。

■ 結論

 無知を憎め、人を憎むな、かな?



2023年10月8日日曜日

誕生日とビタミンD

 ーーーーー今日来たメマガーーーーーー

今回スペインのアリカンテ大学が3万人に及ぶ人々の誕生月と健康データを元に調査、27種類の慢性疾患にかかっている患者をそれぞれ誕生月ごとに分けてマッピングした結果、複数の疾患に顕著な違いが見られているという。


 例えば、9月生まれの男性は1月生まれの男性よりも甲状腺にまつわる疾患にかかる人が約3倍も多い。8月生まれの男の赤ちゃんは喘息にかかる率が1月生まれの男の赤ちゃんよりも2倍。9月生まれの赤ちゃんは年間を通じて慢性疾患に一番かかりにくい。等々……。

 

 


 ではかかりやすい疾患について今回の結果を性別・月別で簡潔にまとめた一覧があるので見てください。

 


1月生まれ
 男性:便秘、胃潰瘍、腰痛
 女性:偏頭痛、更年期障害、心筋梗塞

 

 

2月生まれ
 男性:甲状腺関連、心臓病、骨関節炎
 女性:血栓、甲状腺関連、骨関節炎

 

 

3月生まれ
 男性:白内障、心臓病、喘息
 女性:関節炎、リューマチ、便秘

 

 

4月生まれ
 男性:喘息、骨関節炎、甲状腺関連
 女性:骨関節炎、腫瘍全般、気管支炎

 


5月生まれ
 男性:鬱病、喘息、糖尿病
 女性:慢性アレルギー、骨粗鬆症、便秘

 


6月生まれ
 男性:心臓病、白内障、慢性気管支炎
 女性:尿失禁、関節炎、リューマチ

 


7月生まれ
 男性:関節炎、喘息、腫瘍全般
 女性:慢性首痛、喘息、腫瘍全般

 


8月生まれ
 男性:喘息、骨粗鬆症、甲状腺関連
 女性:血栓、関節炎、リューマチ

 


9月生まれ
 男性:喘息、骨粗鬆症、甲状腺関連
 女性:骨粗鬆症、甲状腺関連、悪性腫瘍

 


10月生まれ
 男性:甲状腺関連、骨粗鬆症、偏頭痛
 女性:高コレステロール、骨粗鬆症、貧血

 


11月生まれ
 男性:慢性皮膚疾患、心臓病、甲状腺関連
 女性:便秘、心筋梗塞、静脈瘤

 


12月生まれ
 男性:白内障、鬱病、心臓病
 女性:慢性気管支炎、喘息、血栓

 



これからは、生まれた時期に太陽から浴びている「太陽ビタミン」と言われる活性型ビタミンDの影響が考えられるようです。

今まで、生年月日=占いという解釈が少し変りつつあるかもしれません。

 

【自己理解】論理的整合性に美を見出す

 私には一貫性がある行動

私は小さいころから、どちらかというと、ローテクに憧れ、アーミッシュとか、キルティングビーとか、そういうのに興味があり、戒律を守って古いライフスタイルを維持する、とかそういう世界が好きでした… 好きな本は、赤毛のアンとか、大草原の小さな家とか、無人島で家を作る、とか…。

なのですが、学校では

理科と国語

が得意で、理科、というのは、仕組みを説明したものなので、仕組みを知るのが好きなのでした。

国語は読解力が優れているだけで、何も小説が書ける、というたぐいの能力ではなく、その文章が言わんとすることを正確に理解することができる能力、という訳でした。

興味がなかったのが歴史。過去に興味ない感じ。小さいころから、そうなので、やっぱりそうなのでは…。子供のころタロット占いにハマったことがあり、神秘的なものや、薬草、占い、妖精、星、そういうものはとても好きだったのです。天体の運行などは科学館でハマったことがあります。毎週通っていました。他に伝統工芸の世界にも憧れがありました。

が、同時にコンピュータにも興味があったのです…ソフトウェアということですが…つまり、私は論文の整合性の良さ、論理的帰結の良さ、美しさ、というのには審美眼的なものがありました。うまく書けた論文とそうでないものが分かるということです。

マーケティングも同じで上手く論理整合性があるもの、が好きです。というか成功するマーケティングはすべて、整合性があるものです。

というので、私の中では、一貫性がある事柄を追求しているのですが、他の人の目には、統一感のない活動をしていると映るようで、それはその人の視点では理解できないだけだと思っています。

自然農で畑をしながらも、この世の不思議を追いかけつつ、合理的手段で間の前のままならぬ現実は、ぱっぱと処理する、それが私の理想です。


2023年10月2日月曜日

【最近のまとめ】おかもん仏教とNOTE記事

■今日のおかもん仏教

今日のおかもん仏教は、執着心、心をコントロールすることの難しさ、の話だった。

私はクライミングは、クライミングそのものを楽しんでいた時期は、甲府に置いてきてしまい、九州では、クライミングに上達する、というよりも、クライミング界という、あまりにも幼稚で心の成熟の欠如した愚かさを抱えた世界と、それに向き合うことによる、非常に大きな心のストレス…によって出てくる、私自身の心の動きの観察をしてきた…とことになっています。 特にここ3年ほど…。

クライミングでは、”業が果てる”のを待っている感じ、です。

■ クライミングで出てきた心の傷…

弟を24歳と言う若さで亡くしたこと… 
赤ちゃんのころ父にプールに突き落とされて、水恐怖症になっていたこと…
希死念慮…
父を持たない娘の悲しみ…
子供なのに大人を生きなくてはいけなかったACとしての哀しみ…
エリートとして生き損ねた挫折感…
都会の丸の内OL生活が私にはそもそもあっていない道だったこと…
サンフランシスコを冒険することで、それらを癒してきたこと… 
甲府での”恩寵”が子供時代の取戻しだったこと…
僧帽筋の不必要な塊…

いろいろな心の深いところにあったトラウマが出てくるわ、出てくるわ…

■ 心は現在の傷つきに対して過去の反応をする

私の心は、現在の傷つきに対して、過去の反応を踏襲する。

  誰かが何かひどいことをする → 引っ込み思案になる&人を遠ざける、

という回路になっている(回避性愛着障害?) 

■ ザ・罪悪感

私の中の心の自由を呪縛している最も大きな心の傷は、”ザ・罪悪感”で、それは、

・母や弟を置いて、自分だけが幸福になっては申し訳ない

・母を救えなかった子供の私がまだ、この年齢になっても母を救いたい、

と思っているということだ…。

母が本当に求めているのは、母の母、つまり祖母であり、その祖母はすでに他界しており、子供のころから、救える可能性がないことは分かっていたのだが、母をを救おうとする心の動きを止めることが難しい。

それがドライバーになっているからで、仏教でいえば、食、ということだ。この罪悪感病を直さないと、本当の人生を生きたことにならない。

■ 救えない人を救おうとするのを辞める

救えるはずがない母を救おうとする行為=ノー天気120%クライマーを救おうとする行為、と同じだ。

と言うわけで、

・ATCを持ってこない能天気120%クライマーをお断り申し上げたのは、心の成長+1点

と言う感じだし、

・前のパートナーのA木さんを拒絶していることも正しい。10年やってあのリードしかできない人は、どう考えても救いがたい。

■ サバイバーミッション?

一般的に良くあるのは、サバイバーミッションと言う行為です。

ACだった人が、現代のACを救う。これは良くある結論なんだが、違うと分かっている。

私も最初はこれかな?と思って、いろいろ試したんですよね。学生時代に、私と同様に恵まれない子供に無料で家庭教師をしてあげる、とか…。ので、違う、というのは、答えが出るんだけど、正解、は答えが出ない。

■ 健全な解決は、昇華

ザ・罪悪感を具体的に母を救うという行動ではなく、何らかの社会的意義ある内容に昇華したいと思っているんだが…。 

そうなると、やはり、母に似た境遇にある人を過剰なまでの親切心で、自己犠牲しながら、助ける、ということになってしまう…。結局は、”燃え尽きて自爆”という結末に至ることは、やる前から見えている…。

というので、別のメタ認知(解)が欲しいのだが…なかなか、その解が見えてこないのですよね…

■ 自己犠牲を辞める練習

…というので、今は、自己犠牲を辞める練習中。

これは、あきらかにどのような関係においても、マイナスだからだ。

しかし、自己犠牲を辞めた結果、悪化した人間関係がある。その人は私の自己犠牲に便乗することができるというメリットを求めて私を選んだのだろうか?

■ 友人のコメント

最近、仲良くなった女性の友達で、福田さんと言う方が、先日書いたNOTEの一記事に、”ここにあなたの生きる道がありそうな気がするよ”、とコメントしてくれ、とてもうれしかった‥‥

どこに、自分の何か、光る才能があるか?というのは、自分では、たいてい分からないものだからです…。 本人にとっては才能は、

   あまりにも自然で、ナチュラルなもの、身に着けようと思いすらしないもの

だから、大抵の場合は気が付くことができない、です。

こちらがそのNOTE記事…

https://note.com/kinny2021/n/nd37c050a4a14?from=notice

と言う具合に、遅々とした歩みですが、歩んではいます。ほんとなかなか先に進めないことがもどかしいですが…。

【リーダーシップ】開拓における東さんのリーダーシップ 

■ 開拓者を訴えるクライマー

岩場の事故を受けて、大開拓者の東さんから、通達?案内文が来ていたのでアップします。

たぶん、フリークライミングの世界では、個人化が進み、山岳団体と接点があるクライマーがあまりいません。

スポーツクライミングの世界とも、アルパインクライミングや登山をするための組織の山岳会とも、接点がないので、普通に外岩でクライミングしていても、どこの組織ともつながらない、ということになる。

その上、ネットをしないSNSをしない人だと、てんで、情報が流れてこず、

 見様見真似、

が広まる結果になっているんではないですかね? 一時代前の支点を見る限り。

その見様見真似した相手がまっとうな人ならいいけど、”友達”とか、だからなぁ… 

それで、まったく頓珍漢な結末になるんではないだろうか?というのが、”周囲の人から学習しているクライマーたち”を観察して思った結果です。その周囲の人たちの偉い人ひとりが間違えば、その人を参照する全員が間違う、と言う流れになっている。(例:古いほうの比叡)

クライミング界というか、日本人全般かもしれませんが、情報発信をしてリーダーシップをとる…例えば、世界のリン:ヒルのように…ことがなく、待ちの姿勢で、誰かから盛り立てられることを待っている傾向があり、その結果、ちゃんとしたクライマーほど陰に隠れ、実績が認められず、全く実績が頓珍漢な、栗城さんやら南谷さんやらが、メディアに大々的に取り上げられる…という顛末になっているような気がします。野口さんなんて、栗城さんが出てちゃんとしたほうに入れてもらえるようになった感じで、野口さんですら、お坊ちゃんクライマーとしてアルパインクライマーの世界では全然認められていない感じでした。余談ですが。

私が言いたいことは、

ちゃんとしている人たちが積極的に情報発信してリーダーシップを取っていかないと、トンデモがトンデモと気づかれないまま、はびこり、何も知らない新人クライマーにとっては、異常が普通のことになる…。

ということです。九州では、私が来た時には、すでにそういう事態になってから、〇十年が経過していた…、ということだと思います。







文字起こしさんによる結果
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クライミングルートと支点

1. 支点と責任
クライミングの支点にはどのような責任範囲になるのか整理してみました。

1) ナチュラルプロテクション (クラックルート)
トラッドクライミングで使用するプロテクションには 「アクティブプロテクション(カム等)」と「パッシブプロテクション(ナッツ等)」 があります。 

これらはクライマーが独自にセットする場合が多く、 墜落の時に外れた場合は製品の構造的な欠陥を除いてセットした本人が責任を負うことになると思います。

2) アルパイン・クライミング
基本的には 「墜落しないこと」 が前提のクライミングです。 また残置ハーケンや残置ボルトを使用して外れた場合でも、 支点を設置したクライマーの責任を問うことはまずないと思います。 設置から年数が経過して腐食などで耐力が無くなっていることも考えられます。またアルパインの場合はナチプロをセットすることも多く、 支点構築もクライミング行為の一つであり、 残置支点ならその強度の有無を観察する能力も問われます。支点に強度がないと判断した場合は何らかの対応をする必要があります。

3) クライミングウォール
ヨーロッパでは欧州規格 (EN12572-1) に 「人工的な登攀施設」の強度や仕様が規定されています。 またクライミング競技に使用するクライミングウォールでは「競技規則」にこの欧州規格を批准するように規定されています。

この強度規格は汎用的な存在になってきたため、 管理されたクライミング施設や営業クライミングウォールでは設計・施工・保守管理に於いてこの規定に沿うことが求められると思います。 なお欧州規格ではハンガーの強度は試験荷重・ 使用荷重は670kg、破壊荷重は2,000kgとなっています。

4) 自然の岩場 (シングルピッチクライミング、スポーツクライミングルート)
このジャンルのクライミングでは難度の高いルートを目的なので、 「積極的な墜落」が前提となります。 このためクライミングウォールと同程度の支点強度があることが理想的です。 

またリピートクライマーはそれぞれのハンガーの強度をテストすることなく、既設のハンガーの強度を信用して登っているのが現実です。

ルート開拓者はそのことを鑑み、強度のある支点の設置を心掛けていると思いますが、岩の状態や開拓からの経年によって所定の強度がない可能性もあります。


①設定場所の問題
アンカーボルトはハンマーで打診して岩が硬く締まっている場所に打ちます。 ただし中間支点の割付け上、 どうしても岩の状態が良好でない場所があり、その中の最適箇所を選ばざるを得ない状況もあります。

また以下のような部分にはハンガーは設置できません。

a. カラビナを掛けると岩角に対してカラビナにテコ状の力が働く。
b.クイックドローに掛けたロープが岩との干渉でギロチン状になる。
c. 墜落すると緩傾斜部やバンドに当たる可能性がある場所。
d. アクシスに対して、一つ下の中間支点からロープが横断するような形になり、墜
落するとロープと交錯して危険な部分。
e. ロープがカンテやバルジを越えるような形になり、ロープの流れが悪くなるようなところ。

これらクライミングする上で危険な状態が予想される場合は、 ハンガーを設置する場所に制約を受けることがあります。

②岩場や岩質の問題
ルート開拓者はアンカーを打つときにハンマーで打診して、岩が脆くなく、ひび割れなどない状態の箇所にボルトを打ちます。 ただしハンマーでの打診音が良好でも岩の崩壊の規模が大きすぎる場合は予想できないと思います。

a.御在所岳中尾根バットレスではマイクロバス程度の大きさの岩が抜けた。
b. 城ヶ崎の 「キャデラックランチ」 周辺の岩が崩壊して、 数ルートが消滅した。
c.雪彦山(兵庫県) でボルトを打っていたタタミ畳くらいのフレークが剥離して、クライマーが巻き込まれた。

③ 特殊な問題

a. 応力腐食割れ
近年UIAA(国際山岳連盟) ではアンカーボルトの「応力腐食割れ」を問題視しています。 これはステンレス鋼などの耐腐食性の高い製品にもみられる事象です。 拡張式アンカーのようにボルト内に常に引っ張り荷重が働いている部材に対し数カ月から数年の比較的短期間に亀裂が発生することがあるようです。

b.ひび割れの拡充
石灰岩にはひび割れ部分に石灰成分が浸潤して接着剤のように再固着させているような箇所があります。 そこをハンマーで打診しても異常な音がしない場合もあります。 ただしハンマードリルの振動や拡張式アンカーによる圧力によって微細なクラックが生じることがあるかもしれません。 またこのクラックに水分が入り、 氷結するとクラックを押し広げて岩塊の固着力を緩めることが考えられます。 ここに打たれたハンガーに墜落衝撃がかかると岩が
剥がれる可能性があります。 ただしルート開拓時にこのことを判断するのは
非常に困難です。

C. リボルトの問題
リボルトの原則は 「オリジナルルートの尊重」 であり、ルートのアクシスやボルト位置によってルートの性格を変えることは慎まれています。 このため付近の岩の状態が悪くても、その中で「最適状態」の場所にアンカーを設置するしかない場合があると思います。

2.開拓者の責任範囲
自然の岩場でもスポーツクライミングルートは、支点に一定の強度があることが前提となっています。 また慣例上それぞれのクライマーは残置支点の強度を確認せず使用しています。

開拓者は誰もそのルートでケガをされたくありませんので、考えうる最適な場所にボルトを打っています。

もしそのボルトが抜けてケガをしたクライマーから訴えられ場合、すべての開拓者は以下の2通りの案内するしかなくなります。

① 私の設定したルートでケガや死亡があっても訴えない人だけ登ってください。
②私の設定したルートは強度に責任が持てませんので、ルートの上に回ってそれぞれの支点の強度を確認して、自己の責任に於いて登ってください。

自然の岩場ではクライミング前にルートの点検をすることは事実上困難です。 このため支点に関するトラブルがあっても開拓者には責任が及ばないことがクライミング界の不文律になっていると思います。

※道理上だれがみても危険な状態の支点や墜落一回で抜けた支点に対して、 開拓者に一切
の責任がないとはいえません。 ここでは一定の期間や一定量の墜落でも異常がなかった
支点のことをいっています。

また支点に異常があった場合はクライマー自身が補修するか、 告知や周知を行なうことがすべてのクライマーの安全につながる大切なことだと思います。

再度繰り返しますが、 開拓者は事故を無くすため、可能な限り安全に配慮したルート作りをすることが大前提です。 ルート開拓は労多く、費用がかかり、文句を言われることが多々あります。 それでもルートなくしてクライミングはありません。 今後もクライミング界に貢献できるよう同志の方々、頑張っていきましょう。
--------------- 太字、赤字当方